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殊能将之デビュー作「ハサミ男」(1999年刊行)。本作は同年第13回メフィスト賞を受賞し、さらに同年「このミステリーがすごい!」の9位にランクインしています。2005年には主演・豊川悦司、麻生久美子で映画化もされました。
本作は叙述トリックの傑作選で必ずといっていいほどピックアップされている一冊。
“わたし”の視点で進行する一人称の章が際立ち、“わたし”のサイコパスな行為が読み手の心理を翻弄します。ハサミ男の犯行を模倣する第三の殺人、その真相を暴くためにシリアルキラーが探偵役をこなすなど、叙述トリック以外の稀有な設定が本作のおもしろさを助長させています。
本作を考察するうえでネタバレは避けられず、以下はあくまで読了前提の私見です。
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性別をミスリードさせる叙述トリック「ハサミ男」
作中ですでに二件発生している女子高生広域連続殺人事件。この二つの事件はいずれもハサミ男の犯行であることを“わたし”が明かしていますが、(“わたし”の犯行ではない)第三の殺人事件を“ハサミ男当人が発見する”という件からストーリーが展開されています。
叙述トリックの傑作という肩書きから無意識に身構えてしまいがちですが、まずはタイトルそのものが伏線。察しのいい読み手は、このタイトルからすでに何らかの準備をしているはずです。
プロローグ的な位置づけからはじまる(数字の章の)一人称“わたし”は、ハサミ男の視点です。読み進めるうちに自ずと感じるのが、「“わたし”の性別を明かさない」という点。ここに違和感を抱いてしまうので、おそらく「性別」がこの叙述トリックの肝なのだろうと早々に推察できます。
多重人格の“わたし”が担う探偵役
精神障害を抱え、幾度も自殺を試みる“わたし”。そしてその内に時おり現れる“医師”。
エピローグを担う27章に、医師に関連する描写がみられますが、この医師は“わたし”の父親を投影した幻覚であると推察できます。
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「いかん、ライオス王のお出ましだ。ぼくはあいつが苦手でね。このへんで失礼するよ」
医師は自分の部屋へ帰っていった。
すると、不思議なことに、看護婦に連れられて、病室の入口からふたたび医師がやってきた。
いや、違う。医師にそっくりだが、医師とは別人だった。
~ 中略 ~
あまり親に心配をかけるものじゃない、と医師そっくりの男は言った。
~ 中略 ~
おまえが母さんのことで、まだこだわりを持っているなら……。講談社文庫 27 P498抜粋
父親らしき人物との会話として描写されていますが、別人格の意思は、つまり、当人の潜在意識。“わたし”の過去に、家庭内の不和によって、精神障害を引き起こす何からの事象が発生していると推察できます。
多重人格の障害に悩まされる“わたし”は、この医師の“お告げ(潜在意識)”によって第三の殺人の真犯人を追い求めることになります。
第一、第二の殺人事件のシリアルキラー“わたし”が、ほかの誰かが犯したハサミ男(の犯行)の模倣犯を追う探偵役に──。この着想は、スリリングな展開がはじまることを読み手に印象づけることに成功しています。
読み手は、「(一人称の)“わたし”は日高なのか」という点と、「第三の殺人の真犯人が誰なのか」という点の二つの疑念を抱きながら読み進めることになります。
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一人称の“わたし”の性別は──
“わたし”の性別は男なのか、または女なのかについては、一人称の“わたし”の章にいくつかの伏線が張られています。
穿った見方をしなくとも、素直に受けとれば、これはむしろ女ではないかと推察できる部分。
見れば見るほど、きれいな子だった。
わたしから見ても美人だと思えるくらいだから、同世代の男子生徒には、さぞかしもてることだろう。
講談社文庫 5 P49抜粋
女性目線の描写と受けとったほうが自然で、逆に日高の目線と考えたほうが違和感があります。そして、伏線ともとれる立ち位置の人物に岡島部長がいます。
岡島部長はあいかわらず頬づえをついて、窓の外の曇り空をながめていた。わたしが近づくと、視線はそのまま、
「このうっとうしい天気はいつまでつづくんだろうねえ」
と、つぶやくように言った。
岡島部長は五十代の女性だった。
講談社文庫 2 P21抜粋
“わたし”がバイトしている氷室川出版の編集部岡島部長は女性ですが、この人物も性別を明かさなければ男女どちらともとれる口調が続いています。
プロローグ的な段階で、この人物を女性として立てることで、のちに“わたし”が安永知夏、すなわち女であることを明かしても違和感を覚えない役割を担わせているのかもしれません。
また、週刊アルカナ編集部の黒梅(女性)の言葉も伏線になっています。
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寒風の吹きすさぶ店外に出ると、黒梅はわたしをじろじろ見つめて、
「ねえ、あなた、いつもそんな格好なの?」
いきなり、そう言った。なんとも、ずけずけとものを言う女だ。
わたしは自分の服装を見なおした。手編み風セーターにジャケット、ジーンズ、スニーカー。
「そうだけど、変かな」
「まあ、悪くはないけど」
黒梅はわたしを上から下まで品さだめすると、
「もう少し、おしゃれしたほうがいいんじゃない?」
講談社文庫 14 P233、234抜粋
“わたし”が男でも成立する会話ですが、どちらかというと、女同士の会話と受けとったほうが自然に思える部分です。のちに明かされる、“安永知夏=美人”という設定からも、このときの黒梅の心情は理解できる範疇でしょう。
客観的事実を示す三人称の章に隠された真実
一人称で描写されているハサミ男の視点の章とは異なり、全十四章から成る本編は、捜査に奔走する警察組織を俯瞰で描写し、客観的事実を示す三人称で進行しています。本編の地の文は、いわゆる“信頼できるはずの描写”です。
ハサミ男が誰であるかを明かさないのは叙述トリックによるものですが、ストーリーの本筋である第三の殺人のトリックは本格ミステリのカテゴリ。
第三の殺人はいったい誰の犯行によるものなのか。
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ハサミ男が第三の標的として追っていた女子高生・樽宮由紀子が、他の誰かによって(ハサミ男の犯行であるかのように)偽装工作して殺害され、偶然ハサミ男当人が遺体の第一発見者になるというのが本作のプロット。
ハサミ男の犯行を装って私怨をはらした真犯人が、実は警察組織内部の者、それも指揮をとる側の警視正・堀之内による犯行だったというのは、読み手にインパクトを与えるには十分なトリックです。
求めてしまうのはその相関と動機ですが、樽宮由紀子は複数の男性と関係があって堀之内はその一人、そして動機が恋愛のもつれによる報復というもの。この設定が安易すぎて、個人的にはもの足りなく、やや尻すぼみな印象。
以下はエピローグ的な役割を担う一人称の章のラスト(27章)ですが、堀之内、磯部、安永知夏が対峙するシーンで、堀之内がハサミ男の正体を明かさないまま自決するのは、“安永知夏の次の犯行を仄めかして終えたい”という書き手の意図があるのだろうと推察します。
彼女は十五、六歳くらいで、きっと老婆の孫なのだろう。髪を後ろで結んで、赤いセーターとキルトスカートがよく似合っていた。丸顔におとなしそうな微笑を浮かべている。
とても頭のよさそうな子だった。
「きみ、名前はなんていうの?」
と、わたしは訊ねた。
講談社文庫 27 P501、502抜粋
written by 空リュウ
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