綾辻行人

【小説】綾辻行人「水車館の殺人」を読んだ感想・私見(考察)

綾辻行人-水車館の殺人-感想・考察

1988年に刊行された綾辻行人「水車館の殺人」。

鮮烈なインパクトを与えたデビュー作「十角館の殺人」の流れを受けた“館シリーズ”の第2作。講談社文庫(新装改訂版)のあとがきで著者が語っていますが、“館シリーズ”という長編連作のコンセプトを思いついたのは本作執筆時だったようです。

また、本作「水車館の殺人」は、館シリーズ前作「十角館の殺人」のような一発大ネタ勝負ではなく、“論理的に真相を導き出すことが可能な本格ミステリ”に挑んで執筆された作品とのこと。

なるほど、“過去”の章の地の文が三人称であるのに対し、“現在”の章が藤沼紀一視点の一人称で描写されていることからも、伏線があらゆる箇所に用意されているのだろうという匂いを感じます。

以下は、作中に巧みに張り巡らされた「水車館の殺人」の伏線を推察するため、読了前提のネタバレで考察しています。

精巧なプロットによって成り立つ王道ミステリ「水車館の殺人」

「十角館の殺人」が“島”と“本土”という物理的な隔たりがある構図であるのに対し、本作「水車館の殺人」は“現在”と“過去”という時空を隔てた構図。

十角館に続き、特殊な建築物を手がける中村青司によって設計された「水車館」が本作の舞台です。現在と過去いずれも水車館の中でストーリーが展開されているため、クローズドサークルに近い設定となっています(厳密には外界とは遮断されていない)。

また、館シリーズ前作「十角館の殺人」が現代と違和感のない世界観だったのに対し、本作は、水車のある洋館、白い仮面をつけた当主、半幽閉状態の少女、コレクションされた名画など、ゴシック感がひしひしと伝わってくる世界観で描写されています。

被疑者・古川恒仁の消失に潜む伏線

綾辻行人-水車館の殺人-感想・考察

過去の章は、現在の章から1年前の時空。プロローグで、切断された焼死体が発見されていることから、過去水車館で殺人事件が発生していることをまずは読み手に掲示しています。

1年前(過去)のこの事件で古川恒仁が消失していている事実が本作トリックの根幹となり、現在の章で探偵役の島田が真相究明に奔走しています。

古川消失はハウダニットが先に立つトリックですが、合わせて、のちのちフーダニットにも直結してくる二重のトリックであることに気づかされます(後述)。

紀一視点の一人称“現在”に潜むトリック

綾辻行人-水車館の殺人-感想・考察

前述のとおり、“現在”の章が“過去”の章とは明らかに異なっているのが、紀一視点の一人称描写です。察しのいい読み手は、過去の範例から、一人称&仮面という設定に直感が働き、早々に犯人の目星をつけているかもしれません。

ただ、古川消失に端を発する一連のトリックを解き明かすのは容易ではないという感。本格ミステリに挑んだという書き手の本気度が垣間見えるプロットです。

仮にトリックに気づかずラストまで読み進めた場合は、“切断された焼死体の主と思われていた正木が、実は現在の時空でも生存していた、それも紀一になりすまして”という設定がサプライズとなり得ます。

一人称の描写については、かなりきわどい表現がいくつか存在します。以下はそのうちのひとつ、第一章“現在”の一人称(私=正木)の独白を引用したものですが、読み手を早い段階でミスリードへ誘おうとする作為を感じます。

命日と云えば、今日はあの家政婦、根岸文江が不幸な最期を遂げた日でもある。そして明日──九月二十九日は、そうだ、かつて藤沼一成の弟子であったあの男、正木慎吾がこの世から葬り去られた日……。

講談社文庫<新装改訂版> 第一章 現在 P36抜粋

ハウダニットとフーダニットを兼ねる二重トリック

綾辻行人-水車館の殺人-感想・考察

“古川の消失はどうやってなされたのか(ハウダニット)”を解き明かすと、同時に“誰が古川を殺害したのか(フーダニット)”がひも付いてきます。

第14章“現在”で探偵役の島田が推理しているとおり、そこには白い仮面の下に隠された「入れ替わり」と「二人一役」という二重のトリックが隠されていたことがわかります。

白い仮面という設定はどうしても某作の古典的トリックが脳裏にちらつくため、読み手もそこには何かがあるだろうということを察します。

一人称“私=正木”の伏線については、これも島田の推理にあるように、作中のいくつかの箇所に仕込まれています。ひとつは左手薬指の欠損であり、ひとつは色覚異常にふれる描写。

そして紀一視点の一人称“私”は正木であったことから、「二人一役」のトリックと、ここにもうひとつ「入れ替わり」が行われていたことが浮かび上がります。つまり、二重の入れ替わり(古川⇔正木、紀一⇔正木)です。このあたりのプロットが実に巧妙。

個人的には、本作の古典的なトリックと精巧なプロットは良好に消化できて好みです。ラストの着想については読み手の消化器に依存され、判断も分かれそうですが。

written by 空リュウ

水車館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫) 綾辻 行人
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【小説】綾辻行人「迷路館の殺人」を読んだ感想・私見(考察)

綾辻行人-迷路館の殺人-感想・考察

1988年に刊行された綾辻行人「迷路館の殺人」。

本作は綾辻行人作品でシリーズ化されている、“館シリーズ”の3作目にあたります。

本作の舞台は、同作家デビュー作「十角館の殺人」からの流れを受け、建築家・中村青司が手がけたとされる“迷路館”。

「十角館の殺人」はアガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」のオマージュ作品ですが、“クローズドサークル”と“見立て殺人”については、本作「迷路館の殺人」も同様のプロットを踏んでいます。くわえて、本作には作中作(“作中作中作”含む)を用いて新味をブレンドさせています。

そして、作中作では明かされていない真相に迫る巧妙な“叙述トリック”。

以下は、「迷路館の殺人」の作中で幾重にも張られている伏線を推考するため、あくまで読了前提としてネタバレで考察しています。

作中作の見立て殺人、緻密なプロットの力作「迷路館の殺人」

本作の根幹となっているプロット“作中作”は、作中でいう鹿谷門実のデビュー作「迷路館の殺人」です。同作は鹿谷自身が渦中の人物として巻き込まれた連続殺人事件を題材にしたもの。

推理作家・宮垣葉太郎邸“迷路館”で起こった連続殺人事件は、宮垣に招待された作家4人(と秘書)が被害者となった事件ですが、この4人を遺産相続の資格対象者とした“創作コンテスト”が事の発端となっています。これを基として、犯人の動機がひも付けられ、叙述トリックが形成されています。

本編が作中作であることから、プロローグとエピローグがそれぞれの立ち位置で作中作との相関を担い、のちに明かされる伏線回収の精度を高めています。とりわけ、エピローグで事件の真相に迫っていく島田兄弟の推理談義は、フェア・アンフェアという境界も提示しつつ、作中作と(プロローグとエピローグを含む)本作を両立させています。フェア・アンフェアに言及しているのは書き手の矜持かもしれません。

クローズドサークルの舞台で仕掛けられた見立て殺人

綾辻行人-迷路館の殺人-感想・考察

ギリシャ神話を引用した各部屋の名称と、“作中作中作”の冒頭を描写した見立て殺人。いずれも書き手の趣向が織り込まれた、本作には欠かせない要素となって描写されています。

須崎につづき、清村、林が殺害され、最後に舟丘が殺害されるという見立て殺人の構図。林殺害時のダイイング・メッセージ、舟丘殺害時の密室など、読み手を揺さぶる伏線が随所に張られつつ、作中作だけでも事件の経緯は容疑者・宮垣で一応完結しています。ただ、綾辻作品らしく、本作にはもうひとつ別の衝撃がエピローグに用意されています。

第四章「第一の作品」の須崎殺害について鹿谷が推理する、“犯人の身体から流れ出た血痕を隠蔽する必要があった”という「ミノタウロスの首」の見立て殺人。

これが作中作の第一の殺人であるのと同時に、エピローグで島田勉が指摘しているように、事件の真相究明への転換点となる鍵にもなっています。

「という具合にね、いったん疑ってかかってみると、ある一点を転換のポイントとして、この事件はまったく異なる解釈が可能になってくる。~ 中略 ~」
「その『ある一点』というのは何なんでしょう」
「犯人は何故、須崎昌輔の首を斧で切る必要があったのか」
 島田が云うと、鹿谷は顎の先をゆっくりと撫でながら、
「さすがですね」
と微笑んだ。
「で、その答えは?」
「作中ですでに述べられているとおりさ。現場を汚してしまった自分の血の痕を隠すためだろう」

講談社文庫<新装改訂版> エピローグ P435抜粋

作中作とプロローグ&エピローグの相関

綾辻行人-迷路館の殺人-感想・考察

本作がある意味力作といえる要素が、作中作とプロローグ&エピローグの相関にあります。その相関は書き手の熱量が伝わってくるような力感があります。

前述のとおり、作中作だけでもミステリ作品として完結していますが、エピローグに用意されている真相に迫る推理が本作の肝。

エピローグの地の文で描写されている、“意図して曖昧に描写されているある人物の「性別」”。これが叙述トリックに絡む連続殺人事件の真犯人説となっています。

どうしてこの小説では、ある作中の人物について、故意に読者の難解を招くような記述がなされているのか。
 ~ 中略 ~
「白いスーツでも着こなせば、若い頃は“美青年”で通用しただろうなと思わせる」といったきわどい表現もあるが、この人物の性別に関する描写は総じて、どちらとも取れる曖昧な書き方で済まされているのである。

講談社文庫<新装改訂版> エピローグ P439抜粋

エピローグで語られる物的証拠のない推理は、伏線を回収する役割を担っていることはいうまでもないものの、作中にもあるようにフェア・アンフェアについてかなり意識しているように感じます。

個人的には、「十角館の殺人」ほどの衝撃は得られませんでしたが、本作「迷路館の殺人」は、書き手の趣向と力感あふれるプロットを十分に堪能できる作品です。

written by 空リュウ

迷路館の殺人<新装改訂版> (講談社文庫) 綾辻 行人
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【小説】綾辻行人「十角館の殺人」を読んだ感想・私見(考察)

綾辻行人-十角館の殺人-感想・考察

1987年に刊行された綾辻行人デビュー作「十角館の殺人」。

本作は当時、“新本格ブーム”なる本格ミステリの先駆けとして多大な影響を及ぼしたといわれています。クローズドサークル(外界との連携が絶たれた状況)の舞台設定で、ミスリード必至の叙述トリックが仕込まれている傑作。

作中でもふれられていますが、本作はアガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」のオマージュ作品です。同作も読むとすれば、順序としては、「そして誰もいなくなった」を読了後、「十角館の殺人」を読むほうがより醍醐味を味わえます。

本作冒頭で以下の献辞があるように、先人に敬意を払っていることは言うまでもありません。

──敬愛すべき全ての先達に捧ぐ──

綾辻行人-十角館の殺人-感想・考察

アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」は1939年に刊行された作品。

トリックそのものは衝撃を受けるようなものではないものの、クローズドサークルとなった孤島で、マザーグース(伝承童謡)の一つ“10人のインディアン”の見立て殺人が展開されるというプロットが秀逸です。集められた10人にはそれぞれ背負う過去があり、殺人が起きるたびに10体の人形が一つずつ減っていくという演出も不気味さがあって妙味。

80年の時を経ていますが、今もなお愛読されている不朽の名作です。「十角館の殺人」以外にもオマージュ作品として著名な作品が数多く存在し、後世に影響を及ぼし続けている偉大な作品といえます。

以下は、「十角館の殺人」の叙述トリックを推考するため、あくまで読了前提としてネタバレで考察しています。

クローズドサークルの死角をついた叙述トリック「十角館の殺人」

舞台は外界との音信を絶たれた孤島“角島”。本作のクローズドサークルは、K**大学ミステリ研究会のメンバー7人が外界との連絡を絶って角島で7日間を過ごすというもの。

孤島が舞台になっている点は、「そして誰もいなくなった」と同じ設定です。「十角館の殺人」の舞台“角島”は作中で大分県の離島と描写されていますが、この角島のモデルは、大分県大分市に実在する“高島”といわれています。

この孤島“角島”でミステリ研究会のメンバーの身に降りかかるのが見立て殺人。童謡などの掲示はありませんが、“被害者(1~5)”、“探偵”、“殺人犯人”からなる7枚のプレートは、オマージュ作品であることからも不気味さと緊張感を助長するうえで不可欠な要素となっています。

そしてクローズドサークルを掲示された場合、その中に犯人が存在することを疑うのが王道。ただ本作の場合、その範疇でありながらも、トリックの重要な役割を担っているのが“ニックネーム”。そして“島”の章と隔てて描写されている“本土”の章です。それぞれ読み手をミスリードさせる役割を担い、クローズドサークルの死角をついた驚愕のトリックを成立させています。

“ニックネーム”が担うミスリード

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本作の叙述トリックで切っても切り離せないのが、メンバー同士をニックネーム(欧米のミステリ作家が由来)で呼び合うという設定。

展開順が肝になるため、まず先の“島”の章で、ミステリ研究会メンバーの本名を明かさないままニックネームのみで展開していき、後の“本土”の章では登場人物の本名を明かして展開しています。これによって、読み手は、ミステリ研究会に携わった人物は“ニックネームで呼び合う”という先入観をもちます。

先入観をもったまま後の章の“本土”を読み進めるため、島田のセリフで追い打ちをかけられたことに違和感を覚えません。

「江南君か。うん、いい名前だ」
組んだ手をそのまま頭の後ろにまわして島田はまたそう云ったが、このとき彼は、江南を「かわみなみ」ではなく「こなん」と発音した。

講談社文庫<新装改訂版> 第二章「一日目・本土」P89抜粋

早々に「江南=コナン(コナン・ドイル)」のイメージをすり込まれているので、その字面から「守須=モリス(モーリス・ルブラン)」と変換するのが自然な流れ。読み手が作家の名前を知っているかどうかは別として、“モリス”に類するニックネームに自動変換させるのが書き手の狙いです。

のちのち明かされますが、角島に渡ったミステリ研究会メンバーの本名(山崎、鈴木、松浦、岩崎、大野、東)と、本土にいるミステリ研究会メンバーの本名(江南、守須)が、いかにも異なるテイストで設定されています。

カタカナのニックネームは本作の重要なプロットではあるものの、偉人風のニックネームで呼び合われるのは、正直なところ個人的には苦痛な設定。本作におけるキラーコンテンツではありますが、ともすると脱落しかねない諸刃の剣にも感じます。

“本土”の章が担うミスリード

綾辻行人-十角館の殺人-感想・考察

本作のプロットのうち、読み手の意識をクローズドサークルからそらせて、驚愕のトリックを成立させる位置づけを担っているのが“本土”の章です。

探偵役の島田と河南を泳がせることで、角島で過去に起きた四重殺人の犯人の影を仄めかし、中村青司生存説や吉川誠一生存説、または中村紅次郎真犯人説をちらつかせています。

相乗して、中村青司を名乗る怪文書も、読み手の意識をそらせる効果を担っています。

これらが本筋でないことはすぐにわかりますが、あくまで可能性という点で、“島”の章でもエラリイが中村青司生存説を訴え始めるという流れをつくっています。

そして“本土”の章が担うもっとも重要な役割は、守須という人物を存在させること。読み手は“本土”の章の展開が何を意味しているのかわからないまま読み進めるため、探偵役の島田と河南の動向に振り回されるはずです。

叙述トリックとしてのインパクトが絶大なぶん犯行の動機に関心が募りますが、この点はやや物足りないというのが率直な印象。動機にも直結する当人同士の関係は作中では伏せられたまま展開され、“八日目”の章で、犯人の独白によって動機と犯行の経緯が語られています。

この独白はいわゆる「そして誰もいなくなった」でいうところの、“壜”に詰めて海に投じられた“犯行手記”。ディテールを明らかにすることで違和感を覚える部分、とりわけ“五日目”の章でアガサが殺害される一幕──が少なからず出てきますが、そこは同作に対する書き手の敬意でしょうか。

また、プロローグとエピローグでは、犯人の(犯行前の)心情と終局の一幕がつづられています。この必要性がいま一つ消化できていませんが、重要なのは「そして誰もいなくなった」と同様に、“ディテールにこだわるのではなく、秀逸なプロットを堪能する”ことなのだろうと思います。

written by 空リュウ

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫) 綾辻 行人
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そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫-クリスティー文庫) アガサ・クリスティー
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