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1987年に刊行された綾辻行人デビュー作「十角館の殺人」。
本作は当時、“新本格ブーム”なる本格ミステリの先駆けとして多大な影響を及ぼしたといわれています。クローズドサークル(外界との連携が絶たれた状況)の舞台設定で、ミスリード必至の叙述トリックが仕込まれている傑作。
作中でもふれられていますが、本作はアガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」のオマージュ作品です。同作も読むとすれば、順序としては、「そして誰もいなくなった」を読了後、「十角館の殺人」を読むほうがより醍醐味を味わえます。
本作冒頭で以下の献辞があるように、先人に敬意を払っていることは言うまでもありません。
──敬愛すべき全ての先達に捧ぐ──
アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」は1939年に刊行された作品。
トリックそのものは衝撃を受けるようなものではないものの、クローズドサークルとなった孤島で、マザーグース(伝承童謡)の一つ“10人のインディアン”の見立て殺人が展開されるというプロットが秀逸です。集められた10人にはそれぞれ背負う過去があり、殺人が起きるたびに10体の人形が一つずつ減っていくという演出も不気味さがあって妙味。
80年の時を経ていますが、今もなお愛読されている不朽の名作です。「十角館の殺人」以外にもオマージュ作品として著名な作品が数多く存在し、後世に影響を及ぼし続けている偉大な作品といえます。
以下は、「十角館の殺人」の叙述トリックを推考するため、あくまで読了前提としてネタバレで考察しています。
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クローズドサークルの死角をついた叙述トリック「十角館の殺人」
舞台は外界との音信を絶たれた孤島“角島”。本作のクローズドサークルは、K**大学ミステリ研究会のメンバー7人が外界との連絡を絶って角島で7日間を過ごすというもの。
孤島が舞台になっている点は、「そして誰もいなくなった」と同じ設定です。「十角館の殺人」の舞台“角島”は作中で大分県の離島と描写されていますが、この角島のモデルは、大分県大分市に実在する“高島”といわれています。
この孤島“角島”でミステリ研究会のメンバーの身に降りかかるのが見立て殺人。童謡などの掲示はありませんが、“被害者(1~5)”、“探偵”、“殺人犯人”からなる7枚のプレートは、オマージュ作品であることからも不気味さと緊張感を助長するうえで不可欠な要素となっています。
そしてクローズドサークルを掲示された場合、その中に犯人が存在することを疑うのが王道。ただ本作の場合、その範疇でありながらも、トリックの重要な役割を担っているのが“ニックネーム”。そして“島”の章と隔てて描写されている“本土”の章です。それぞれ読み手をミスリードさせる役割を担い、クローズドサークルの死角をついた驚愕のトリックを成立させています。
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“ニックネーム”が担うミスリード
本作の叙述トリックで切っても切り離せないのが、メンバー同士をニックネーム(欧米のミステリ作家が由来)で呼び合うという設定。
展開順が肝になるため、まず先の“島”の章で、ミステリ研究会メンバーの本名を明かさないままニックネームのみで展開していき、後の“本土”の章では登場人物の本名を明かして展開しています。これによって、読み手は、ミステリ研究会に携わった人物は“ニックネームで呼び合う”という先入観をもちます。
先入観をもったまま後の章の“本土”を読み進めるため、島田のセリフで追い打ちをかけられたことに違和感を覚えません。
「江南君か。うん、いい名前だ」
組んだ手をそのまま頭の後ろにまわして島田はまたそう云ったが、このとき彼は、江南を「かわみなみ」ではなく「こなん」と発音した。講談社文庫<新装改訂版> 第二章「一日目・本土」P89抜粋
早々に「江南=コナン(コナン・ドイル)」のイメージをすり込まれているので、その字面から「守須=モリス(モーリス・ルブラン)」と変換するのが自然な流れ。読み手が作家の名前を知っているかどうかは別として、“モリス”に類するニックネームに自動変換させるのが書き手の狙いです。
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のちのち明かされますが、角島に渡ったミステリ研究会メンバーの本名(山崎、鈴木、松浦、岩崎、大野、東)と、本土にいるミステリ研究会メンバーの本名(江南、守須)が、いかにも異なるテイストで設定されています。
カタカナのニックネームは本作の重要なプロットではあるものの、偉人風のニックネームで呼び合われるのは、正直なところ個人的には苦痛な設定。本作におけるキラーコンテンツではありますが、ともすると脱落しかねない諸刃の剣にも感じます。
“本土”の章が担うミスリード
本作のプロットのうち、読み手の意識をクローズドサークルからそらせて、驚愕のトリックを成立させる位置づけを担っているのが“本土”の章です。
探偵役の島田と河南を泳がせることで、角島で過去に起きた四重殺人の犯人の影を仄めかし、中村青司生存説や吉川誠一生存説、または中村紅次郎真犯人説をちらつかせています。
相乗して、中村青司を名乗る怪文書も、読み手の意識をそらせる効果を担っています。
これらが本筋でないことはすぐにわかりますが、あくまで可能性という点で、“島”の章でもエラリイが中村青司生存説を訴え始めるという流れをつくっています。
そして“本土”の章が担うもっとも重要な役割は、守須という人物を存在させること。読み手は“本土”の章の展開が何を意味しているのかわからないまま読み進めるため、探偵役の島田と河南の動向に振り回されるはずです。
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叙述トリックとしてのインパクトが絶大なぶん犯行の動機に関心が募りますが、この点はやや物足りないというのが率直な印象。動機にも直結する当人同士の関係は作中では伏せられたまま展開され、“八日目”の章で、犯人の独白によって動機と犯行の経緯が語られています。
この独白はいわゆる「そして誰もいなくなった」でいうところの、“壜”に詰めて海に投じられた“犯行手記”。ディテールを明らかにすることで違和感を覚える部分、とりわけ“五日目”の章でアガサが殺害される一幕──が少なからず出てきますが、そこは同作に対する書き手の敬意でしょうか。
また、プロローグとエピローグでは、犯人の(犯行前の)心情と終局の一幕がつづられています。この必要性がいま一つ消化できていませんが、重要なのは「そして誰もいなくなった」と同様に、“ディテールにこだわるのではなく、秀逸なプロットを堪能する”ことなのだろうと思います。
written by 空リュウ
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