【小説】アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」を読んだ感想・私見(考察)

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アガサ・クリスティ-アクロイド殺し

1926年に発表された不朽の名作アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」。クリスティ長編作品の6作目、ポアロシリーズとしては3作目の作品です。

本作は後世に多大な影響を及ぼした名著として知られていますが、奇想天外な着想ゆえに、称賛と批判を同時に受けることになった作品でもあります。当時まだテクニックとして認知されていなかった“叙述トリック”を、クリスティ流のアイデアで衝撃のトリックとして成立させています(叙述トリックそのものは本作発表以前に先例あり)。

また作品発表後の二次的な余波もこの作品をさらに世に広めました。

ひとつは「フェア・アンフェア論争」。本作のプロットが奇抜なため、「推理小説としてフェアな要素といえるのか」という一大論争が当時巻き起こっています。アンフェア側の急先鋒S・S・ヴァン・ダインがのちに発表した「ヴァン・ダインの二十則」はあまりにも有名。そしてクリスティの失踪──。

本作の醍醐味、そして何がアンフェアといわれてきたのか、あくまで個人的な見解として、以下は読了前提のネタバレで考察しています。

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“クリスティ流” 叙述トリックの名作「アクロイド殺し」

舞台になっているのはイギリスの片田舎キングズ・アボット。この村で資産家のフェラーズ夫人が亡くなったという件から物語が始まります。

わたしと姉のキャロラインのやりとりについて書き進める前に、地元の地理について、多少とも説明しておいた方がいいだろう。わたしたちの村、キングズ・アボットは、イギリスのどこにでもあるような、ありふれた村である。

ハヤカワ文庫 2「キングズ・アボット村の人々」P18抜粋

文脈からもわかるように、全編が一人称で進行していきます。一人称の主は村の医師として日々応診に勤しむシェパード医師。

このように、月曜の夜までの話は、ポアロ自信が語っているも同然だった。彼がシャーロック・ホームズで、わたしはワトスン役を務めた。

同 16「セシル・アクロイド夫人」P245、246抜粋

ポアロシリーズといえば参謀のワトソン役はヘイスティングズ大尉ですが、本作では不在(アルゼンチン在住)。代わりにシェパード医師が進行役としてワトソン役を担っています。

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物語としては、「富豪ロジャー・アクロイド刺殺事件」の真相を究明していく過程が描写されていますが、シェパード医師によって語られる登場人物は、各々が個人的な思惑により何らかの秘密を抱え、事実を隠しています。

ポアロシリーズの真骨頂といえば、会話の中から導き出されるポアロの推理。ときおりポアロが発する「灰色の脳細胞」というセリフも、推察することの重要性を推したユーモアのひとつ。それによって明らかにされていく真実は、張り巡らされた人物相関の伏線を徐々にひも解いていきます。

一人称の語り=「全27章の手記」

アガサ・クリスティ-アクロイド殺し

物議をかもしたという点で特筆すべきは、語り手シェパード医師の一人称。

見出しなどで明確に掲示されていないため、読み手としてはシェパード医師の語り(一人称)という見地で物語が進行していると思い込むはずです。しかし、実は本作の地の文そのものがシェパード医師が書き上げた手記だったという設定。

つまり、本作そのものが手記。解説でも述べられていますが、読み手のほとんどはそれに気づかず23章(またはラスト)まで読み進めるでしょう。

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ホームズとワトソンの関係、つまり探偵役と進行役(語り手)が存在し、進行役は手記として綴っているというセオリーを承知していれば、本作のそれも見抜けるのかもしれません。

たしかに作中で「書き進める」という描写がありますが、それはシェパード医師の行為を示すものだと思い込むはずです。これは書き手(作者クリスティ)側からすると、狙ったとおりのミスリードということになります。

フェア・アンフェア論争にも直結しますが、全編がシェパード医師の書いた手記ということになると、ディクタフォン(録音機)を使ってアリバイトリックを仕掛け、犯行を隠蔽しようとしている当人が“すべてを書き記すはずがない”という設定もアリということになります。

“信頼できない語り手” シェパード医師

アガサ・クリスティ-アクロイド殺し

現在では類似作品も多いものの、本作が発表された当時は叙述トリックそのものの地位が確立されておらず、侃々諤々の議論がなされたであろうということは容易に想像がつきます。

「一部を曖昧にしたが嘘は書いていない。すべて事実である」という見地も、読み手としては額面通り受け取ることはできず、“信頼できない語り手”という位置づけになります。

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地の文に「客観的な事実」が書かれているという保証はなく、探偵役が犯人を突き止める前に、読み手が犯人を推理するための十分な材料が提供されているとはいえません。これらを総合するとアンフェアであるという主張は至極当然です。

ただ、フェア・アンフェアに関わらず、「“アクロイド殺し”は面白い」ということに変わりはありません。フェアに描写すればそれが面白い作品になるのか、という疑問も頭をもたげます。結局のところ、批判されようが論争を巻き起こそうが、面白い作品は評価されてしかるべき。のちに発表されている「オリエント急行の殺人」「ABC殺人事件」よりも「アクロイド殺し」のほうが読後感が強く残ります。

叙述トリックの“コロンブスの卵”は、色あせることなく、後世に語り継がれる名作であるということは疑いのない事実でしょう。

個人的には、“シェパード医師が犯人だったとしたら”という見立てで読み進めたので、“実は全編手記だった”という設定のほうにインパクトを受けた作品です。

written by 空リュウ

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫-クリスティー文庫) アガサ・クリスティー
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