貫井徳郎

【小説】貫井徳郎「愚行録」を読んだ感想・私見(考察)

貫井徳郎-愚行録-考察

2006年に刊行された貫井徳郎「愚行録」。

本作は直木賞(第135回)の候補となった傑作ミステリ。2017年に映画化(主演・妻夫木聡)もされています。

重厚な描写で何らかのメッセージを届けるのが同作家の特長ですが、本作においてもそれは同様。ただ、本作には“地の文がない”という点で、同作家の作品の中では特異に映ります。

冒頭の新聞記事、6人からなるインタビュー形式(インタビュイー)の語り、そしてある人物の独白(計6回)で構成された力作。

もし原作を読まずに映画だけ見たという場合でも、本作(原作)は映画とは違う世界観を得られ、一読の価値がある作品として推奨できます。

以下は本作を考察するにあたり、読了前提としてネタバレを含む表現になっています。

主観的証言からみえてくる客観的事実──「愚行録」

前述のとおり、本作はインタビュー形式の語りによって進行していきます。6人の証言によっておぼろげながら全体像がみえてきますが、いずれも主観的な証言のためすべてを鵜吞みにすることができず(信頼できない語り手)、客観的に判断する必要があります。

また、「お兄ちゃん」という挿入で語られる“独白”が、どこで本編と交わってくるのかという疑念も頭をもたげます。

“信頼できない語り手”によって明かされる過去

貫井徳郎-愚行録-考察

6人の関係者による語りはいずれも主観的な証言です。

一家惨殺事件の被害者・田向(夏原)友希恵の過去をたどる証言も、1人の証言では偏りがありますが、複数の証言によって徐々にその人物像がみえてきます。

いずれの証言にもイヤミス感のあるエピソードが盛り込まれ、各人の遍歴が明らかになっていきます。中でもインパクトがあるのが語り手・宮村淳子による「田中さん」に関するエピソード。

この「田中さん」は冒頭の新聞記事に記載されている(育児放棄の)容疑者・田中光子と同一人物です。

宮村淳子によって語られる田中光子のエピソードは、ラストの独白で明かされる真相の伏線となっています。

事件の真相に迫る“独白”

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計6回インサートされている独白は、徐々に何かを形どっているのは察しがつきますが、これが誰の語りなのか、当て推量でしか見当がつきません。

伏線となっているのはやはり前述の宮村淳子によって語られる「田中さん」のエピソードです。この「田中さん」が冒頭の新聞記事の田中光子と同一人物であると推定できれば、謎をひも解いていくひとつの糸口となります。

ただ、構成上、ラスト(6つめ)の独白によってすべてが明かされるというプロットで成り立っているため、5つの独白と6人の語りだけでは全貌を推察するのは困難です。本作についてはむしろ、邪推するよりも書き手の意向に委ねたほうが本作の醍醐味を味わえます。

ラストの独白によって明かされる真実は、「田向友希恵殺害の犯人」、「宮村淳子殺害の犯人」、「光子の娘の父親」の3つ。

いずれの独白も読み手の読後感を後味の悪いものに至らせるに十分な材料です。

また、光子のネガティブな思考には悲哀を感じざるを得ず、ここに書き手の巧みな描写が奏功していることは言うまでもありません。

written by 空リュウ

愚行録 (創元推理文庫) 貫井 徳郎
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【小説】貫井徳郎「慟哭」の叙述トリックを考察

貫井徳郎-慟哭-叙述トリック-考察

1993年に刊行された傑作ミステリ貫井徳郎「慟哭」。

本作は同作家のデビュー作であり、代表作のひとつにも推される名作です。同作家特有の重厚な描写は、デビュー作でその礎を築いています。

プロットも秀逸。連続少女誘拐事件を背景に、当該事件の陣頭指揮を執る警視庁捜査一課長・佐伯。心の隙間を埋めるべく新興宗教に救いを求める“彼”・松本。この二者の視点を中心とし、それぞれの章でストーリーが展開されています。

本作はミスリードを誘う叙述トリック作品です。その叙述トリックを検証するため、以下は読了前提としてネタバレで考察しています。

時系列に潜むミスリード「慟哭」の叙述トリック

奇数章で描写される“彼”・松本の心情、偶数章で展開していく警察捜査本部の俯瞰。偶数章はいうまでもなく佐伯を中心として描かれています。

偶数章が本作の軸となって進んでいくため、一見、奇数章は本編とはかけ離れたストーリーのように感じます。読み進めていくうちに、新興宗教に没頭していく松本はどこで本編に交わってくるのか、という疑念が頭をもたげます。

続発する少女誘拐事件の時系列は──

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計7人もの少女が消息を絶った連続誘拐事件。

佐伯の章と松本の章でそれぞれ描写されていることもあり、同時期に事件が発生しているかのように誤認してしまいがち。

しかし、作中でも掲示されていますが、時系列でみると奇数章と偶数章は同時期ではありません。正確な時系列は、偶数章の佐伯編が先であり、奇数章の松本編が後です。

この時系列の差異が、本作の叙述トリックの根幹になっているため、これによって自ずとみえてくるものがあります。

新興宗教に執心する信者としての“松本”

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娘を失ったことによって空虚な精神状態となり、心に開いた穴を埋めるべく新興宗教に執心していく“彼”・松本の視点で、奇数章は描写されています。

本作の本編のように映る偶数章と交互に読み進める奇数章は、どこかスピンオフのような、奇異な印象を読み手に与えています。

娘を亡くした正体不明の松本という人物が、ついには黒魔術を盲信し、依代として生身の身体を求めて少女を次々と殺害していくさまは、偶数章で続発している事件の犯人を連想させます。しかし、どうにも辻褄が合いません。

そして、早い段階で頭をよぎる「彼(松本)は佐伯ではないか」という憶測も、時系列の差異によって読み手に混乱を生じさせます。

いずれにおいても、時系列の差異に気づかず、先入観で同時進行のストーリーとして読み進めているうちは、きっちりミスリードしていることになります。

事件解決につとめる捜査一課長としての“佐伯”

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偶数章の佐伯編は、警視庁捜査一課長という立場から、連続少女誘拐事件の被疑者検挙に尽力する一連の俯瞰が描写されています。

時系列で先の偶数章において、佐伯は捜査する側の人間。三件の連続少女誘拐事件を追いかけている最中、自らの娘が4人目の犠牲者となってしまうシーンが偶数章のラストです。

時系列でいう、「偶数章のラスト以降、奇数章の冒頭まで」の空白の期間は作中で描写されていません。この空白の期間に変化があったと想定されることは、「佐伯が辞職し、姓を旧姓(松本)に戻した」ということでしょう。

これらのことから構成がわかりますが、時系列で先になっている偶数章の連続少女誘拐事件と、時系列で後になっている奇数章の連続誘拐事件はまったく別の事件であり、被疑者も異なります。つまり、本作は、時系列も被疑者も異なる、まったく別の二つの事件を描いた作品です。

以下は推測にすぎませんが、著者は、意図的に「松本=佐伯」という連想を早い段階で読み手に意識させているのでは。叙述トリックの伏線もあからさまに掲示しているところからも、ミスリードを誘ってミステリとして成立させつつも、メッセージは別にあるのではないでしょうか。

それは、捜査一課の刑事・丘本の分析力、捜査一課長・佐伯の洞察力、娘を奪われた父・松本の慟哭などの重厚な描写が、本作の核心を物語っているのかもしれません。

written by 空リュウ

慟哭 (創元推理文庫) 貫井 徳郎
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【小説】貫井徳郎「修羅の終わり」の叙述トリックを考察

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1997年に刊行された長編ミステリ貫井徳郎「修羅の終わり」。

連続交番爆破事件を背景に、公安刑事とそれに従うスパイに絡むサスペンスが本編となり、章ごとにそれぞれ三者の視点からストーリーが展開されていく秀作。とくに公安内部の事象が陰鬱としていて色濃く、フィクションと理解していながらも、どこか現実世界の逸話を描いているようにも感じるほど描写にリアリティがあります。

本作は、叙述トリックによって読み手をミスリードへ誘う傑作です。巧みな叙述トリックに誰もが掛かり、読後、釈然としないモヤモヤ感が残るのは必至。その叙述トリックを検証するため、以下は読了前提としてネタバレで考察しています。

巧みな叙述トリックでミスリードへ誘う「修羅の終わり」

己の信念にもとづいて正義を貫こうとする公安新米刑事・久我。強欲を押し通して意のままに生きる所轄の悪徳刑事・鷲尾。そして、歌舞伎町の路上で目覚め、記憶喪失になっていることに気づく青年・“僕”。

この三者の視点からそれぞれのストーリーが展開されていきますが、本作の叙述トリックを考察するうえで核心となるのがそれぞれの時代背景(年代)です。

本作はいわゆる犯人探しの推理ものではありません。また、ミスリードを誘う叙述トリックそのものを見誤ってしまうと、本作の醍醐味を見失うことにもなりかねません。三者がそれぞれどこでつながるのかを見極め、叙述トリックに隠された真実にたどり着くところに妙味があります。

第1の視点 公安新米刑事「久我恒次」

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久我の視点から本筋が展開されていくため、まずはこの年代が重要です。これがいつなのか。読み進めていくと時代背景が掲示されていますが、第1の視点・久我の章は“1970年代初め”であることがわかります。

久我の章は主に公安の内部が描写されていますが、とりわけ上司である藤倉の存在が大きく、藤倉は他の視点(章)ともつながる可能性のある重要人物と考えられます。

そして久我の視点を考察するうえで欠かせないのが「斎藤」の存在。本作の叙述トリックは“斎藤に始まり斉藤に終わる”といっても過言ではないほど。斎藤には姉がいますが、この「姉弟」という設定が第1と第3の視点で鍵になっています。藤倉の指示によって、懲罰のため久我に強姦された女は、はたして誰なのか(後述)。

第2の視点 所轄の悪徳刑事「鷲尾隆造」

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第2の視点・鷲尾の章は、一見したところ第1と第3の章とは関連性のない、切り離されたストーリーのようにも感じます。読み手は久我と同じ時代と思い込んで読み進めていくはずですが、実はこの年代は“1990年代初め”です。

己の欲望のまま突き進むその卑劣な素行は、鷲尾という人物を悪徳刑事として描くことに成功しています。そのため、問題のある鷲尾の素行は、警察内部でも目をつけられて当然という描写に違和感を覚えません。

あらぬ容疑で懲戒免職処分となる鷲尾は、誰の手によって罠に嵌められたのか。仮にこれが公安の仕業だったとすると、腑に落ちる構成です(後述)。

そして、無職となり、警察へ恨みを募らせる鷲尾に近づく人物・白木の登場。この人物が第2の章と第3の章を結びつける鍵になるのではないかと推測します(後述)。

第3の視点 記憶喪失の青年「真木俊吾」

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3つの視点の中でもっともミステリアスな存在が、記憶喪失の青年“僕”です。

小織から発信される「斉藤拓也」のフェイクによって、この記憶喪失の青年が、第1の視点に登場する「斎藤」と重なり、読み手を混乱させます。

強引に辻褄を合わせようとすると、どうしても無理が生じ、ファンタジーを連想せざるを得ない矛盾を感じてしまいます。また、“自殺した姉”という存在も「斎藤」と“僕”を混同させる一因として設定されています。

しかし、第3の視点は「真木俊吾」に相違なく、「斉藤拓也」でも「斎藤」でもないことが作中で掲示されています。そして、最後の一行によってつながる第1の視点と第3の視点。それを紐解くと、藤倉の指示によって久我に懲罰(強姦)され、自殺へと追い込まれた女は、“僕”の姉、つまり真木俊吾の姉ということになります。

この事実により、“真木俊吾には久我に対する復讐の念が生じている”という正当性が掲示されたことになり、読み手に「斎藤と久我」というイメージを強く与えている裏で「真木俊吾と久我」が紐づけられていたことを明らかにしているといえます。よって、第3の視点である記憶喪失の青年・真木俊吾の章は、第1視点の久我と同じ“1970年代初め”と位置づけられます。

白木という男、山瀬という存在

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本作の展開においてきわめて重要な存在でありながら、その素性が明かされない人物が二人登場しています。

懲戒免職になった元刑事・鷲尾を扇動する白木、姉が警察官(久我)によって乱暴されたことを弟・真木に明かす山瀬です。

以下は推測ですが、構成的には辻褄が合うと考えられるので、個人的には消化不良は起こしていません。

第1の視点と第3の視点でつながる“1970年代初め”に登場している山瀬は、久我によって制裁を受けた藤倉と仮定します。藤倉でなければ知り得ない、真木の姉の情報を、赤裸々に語っている点からもその可能性は高いと考えます。

藤倉は山瀬という偽名をつかって真木に近づき、久我から受けた屈辱を、自分の手を汚すことなく復讐しようと試みたと考えられます。真木自身にも姉の復讐という大義があるため、藤倉からすると懐柔しやすい相手になります。

真木に強襲された久我の生存は不明ですが、真木のその後は推測できるのかもしれません。それは白木という人物の存在に依存します。

白木は鷲尾にコンタクトをとっていることから、1990年代初めに存在していることが掲示されています。この白木を、偽名をつかって鷲尾に近づいた真木と仮定します。

久我への復讐を試みた真木は、警察の網にかかることなく逃げ延び、警察組織へ復讐の念を燃やすテロリストを束ねる要注意人物へ変貌したと考えられます。

実はこれは藤倉(公安)の陽動作戦であったと仮定すると、その狙いは、真木を泳がせることで警察組織に私怨のあるテロリストを仕立て上げることにあったと推測できます。そしてそれは、警察の裏で手を引いていたのは公安だったという暗示になり、鷲尾は公安に嵌められたと考えられます。

そう推測すれば、おぼろげながら全体像がみえてくるように感じます。

written by 空リュウ


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