【小説】貫井徳郎「修羅の終わり」の叙述トリックを考察

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貫井徳郎-修羅の終わり-叙述トリック-考察

1997年に刊行された長編ミステリ貫井徳郎「修羅の終わり」。

連続交番爆破事件を背景に、公安刑事とそれに従うスパイに絡むサスペンスが本編となり、章ごとにそれぞれ三者の視点からストーリーが展開されていく秀作。とくに公安内部の事象が陰鬱としていて色濃く、フィクションと理解していながらも、どこか現実世界の逸話を描いているようにも感じるほど描写にリアリティがあります。

本作は、叙述トリックによって読み手をミスリードへ誘う傑作です。巧みな叙述トリックに誰もが掛かり、読後、釈然としないモヤモヤ感が残るのは必至。その叙述トリックを検証するため、以下は読了前提としてネタバレで考察しています。

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巧みな叙述トリックでミスリードへ誘う「修羅の終わり」

己の信念にもとづいて正義を貫こうとする公安新米刑事・久我。強欲を押し通して意のままに生きる所轄の悪徳刑事・鷲尾。そして、歌舞伎町の路上で目覚め、記憶喪失になっていることに気づく青年・“僕”。

この三者の視点からそれぞれのストーリーが展開されていきますが、本作の叙述トリックを考察するうえで核心となるのがそれぞれの時代背景(年代)です。

本作はいわゆる犯人探しの推理ものではありません。また、ミスリードを誘う叙述トリックそのものを見誤ってしまうと、本作の醍醐味を見失うことにもなりかねません。三者がそれぞれどこでつながるのかを見極め、叙述トリックに隠された真実にたどり着くところに妙味があります。

第1の視点 公安新米刑事「久我恒次」

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久我の視点から本筋が展開されていくため、まずはこの年代が重要です。これがいつなのか。読み進めていくと時代背景が掲示されていますが、第1の視点・久我の章は“1970年代初め”であることがわかります。

久我の章は主に公安の内部が描写されていますが、とりわけ上司である藤倉の存在が大きく、藤倉は他の視点(章)ともつながる可能性のある重要人物と考えられます。

そして久我の視点を考察するうえで欠かせないのが「斎藤」の存在。本作の叙述トリックは“斎藤に始まり斉藤に終わる”といっても過言ではないほど。斎藤には姉がいますが、この「姉弟」という設定が第1と第3の視点で鍵になっています。藤倉の指示によって、懲罰のため久我に強姦された女は、はたして誰なのか(後述)。

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第2の視点 所轄の悪徳刑事「鷲尾隆造」

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第2の視点・鷲尾の章は、一見したところ第1と第3の章とは関連性のない、切り離されたストーリーのようにも感じます。読み手は久我と同じ時代と思い込んで読み進めていくはずですが、実はこの年代は“1990年代初め”です。

己の欲望のまま突き進むその卑劣な素行は、鷲尾という人物を悪徳刑事として描くことに成功しています。そのため、問題のある鷲尾の素行は、警察内部でも目をつけられて当然という描写に違和感を覚えません。

あらぬ容疑で懲戒免職処分となる鷲尾は、誰の手によって罠に嵌められたのか。仮にこれが公安の仕業だったとすると、腑に落ちる構成です(後述)。

そして、無職となり、警察へ恨みを募らせる鷲尾に近づく人物・白木の登場。この人物が第2の章と第3の章を結びつける鍵になるのではないかと推測します(後述)。

第3の視点 記憶喪失の青年「真木俊吾」

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3つの視点の中でもっともミステリアスな存在が、記憶喪失の青年“僕”です。

小織から発信される「斉藤拓也」のフェイクによって、この記憶喪失の青年が、第1の視点に登場する「斎藤」と重なり、読み手を混乱させます。

強引に辻褄を合わせようとすると、どうしても無理が生じ、ファンタジーを連想せざるを得ない矛盾を感じてしまいます。また、“自殺した姉”という存在も「斎藤」と“僕”を混同させる一因として設定されています。

しかし、第3の視点は「真木俊吾」に相違なく、「斉藤拓也」でも「斎藤」でもないことが作中で掲示されています。そして、最後の一行によってつながる第1の視点と第3の視点。それを紐解くと、藤倉の指示によって久我に懲罰(強姦)され、自殺へと追い込まれた女は、“僕”の姉、つまり真木俊吾の姉ということになります。

この事実により、“真木俊吾には久我に対する復讐の念が生じている”という正当性が掲示されたことになり、読み手に「斎藤と久我」というイメージを強く与えている裏で「真木俊吾と久我」が紐づけられていたことを明らかにしているといえます。よって、第3の視点である記憶喪失の青年・真木俊吾の章は、第1視点の久我と同じ“1970年代初め”と位置づけられます。

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白木という男、山瀬という存在

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本作の展開においてきわめて重要な存在でありながら、その素性が明かされない人物が二人登場しています。

懲戒免職になった元刑事・鷲尾を扇動する白木、姉が警察官(久我)によって乱暴されたことを弟・真木に明かす山瀬です。

以下は推測ですが、構成的には辻褄が合うと考えられるので、個人的には消化不良は起こしていません。

第1の視点と第3の視点でつながる“1970年代初め”に登場している山瀬は、久我によって制裁を受けた藤倉と仮定します。藤倉でなければ知り得ない、真木の姉の情報を、赤裸々に語っている点からもその可能性は高いと考えます。

藤倉は山瀬という偽名をつかって真木に近づき、久我から受けた屈辱を、自分の手を汚すことなく復讐しようと試みたと考えられます。真木自身にも姉の復讐という大義があるため、藤倉からすると懐柔しやすい相手になります。

真木に強襲された久我の生存は不明ですが、真木のその後は推測できるのかもしれません。それは白木という人物の存在に依存します。

白木は鷲尾にコンタクトをとっていることから、1990年代初めに存在していることが掲示されています。この白木を、偽名をつかって鷲尾に近づいた真木と仮定します。

久我への復讐を試みた真木は、警察の網にかかることなく逃げ延び、警察組織へ復讐の念を燃やすテロリストを束ねる要注意人物へ変貌したと考えられます。

実はこれは藤倉(公安)の陽動作戦であったと仮定すると、その狙いは、真木を泳がせることで警察組織に私怨のあるテロリストを仕立て上げることにあったと推測できます。そしてそれは、警察の裏で手を引いていたのは公安だったという暗示になり、鷲尾は公安に嵌められたと考えられます。

そう推測すれば、おぼろげながら全体像がみえてくるように感じます。

written by 空リュウ


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