叙述トリック

【ミステリ小説】ミスリード必至!おすすめ「叙述トリック」18選

おすすめ叙述トリック-ミステリ小説

ミステリ小説の中でも人気の高い「叙述トリック」作品。

そもそも叙述トリックとは何か──。

ミステリ小説で用いられるトリックの一つで、作中の語り手または地の文によって、読み手の思い込みや先入観を巧みに誘い、ある方向へミスリードさせるテクニックのことをいいます。

いわゆる、アリバイトリックや密室トリックなどの古典トリックとは一線を画し、小説の形式や文体を用いて読み手を欺く手法が多くみられます。代表的なミスリードのテクニックとしては、時系列の入れ替え、作中作、性別・人物の誤認、一人二役(または二人一役)などがあります。

また、フェア・アンフェアが常に隣り合わせの「信頼できない語り手」も叙述トリックでは多く登場します。

ときどき“どんでん返し”を叙述トリックとして紹介している記述をみますが、どんでん返し=叙述トリックというわけではありません。あくまで読み手に先入観を抱かせ、ミスリードを誘うのが叙述トリックです。

叙述トリックが刺さる名作ミステリ7選(+11選)

以下、数ある叙述トリック作品の中でも、インパクトや醍醐味、読後感または余韻を味わえるものを私見で厳選7作品(+11作品)ピックアップしています。評価は個々で異なって当然なので、まずは読んでみることをおすすめします。

「十角館の殺人」綾辻行人 ★★★★★

おすすめ叙述トリック-ミステリ小説

1987年刊行。著者デビュー作。

新本格ミステリの先駆けとなった名作。衝撃の叙述トリック作品として、あまりに有名な一冊です。

不朽の名作「そして誰もいなくなった」(アガサ・クリスティー)のオマージュ作品でもあり、関連づけるなら同作も一読することをおすすめします。

“島”の章と“本土”の章で展開されるストーリーが意味するものとは──。

頭をガツンと殴られるような衝撃の一行が待ち受けています。

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫) 綾辻 行人
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そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫-クリスティー文庫) アガサ・クリスティー
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「異人たちの館」折原一 ★★★★★

おすすめ叙述トリック-ミステリ小説

1993年刊行。2018年本屋大賞発掘部門の「超発掘本!」に選出。

あとがきで著者自身が語っているように、本作は著者渾身の力作。折原一といえば叙述トリックといわれるほど、この分野の名手とうたわれています。

作中作、独白、年譜、関係者インタビューなどテキストを頻出させ、多重文体で読み手を揺さぶり続けます。

過去実際に起きた事件のアレンジ、“異人”の存在、何者かによるモノローグ(独白)、前のめりになる要素がふんだんに盛り込まれた一冊です。

異人たちの館 (文春文庫) 折原 一
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「殺戮にいたる病」我孫子武丸 ★★★★★

おすすめ叙述トリック-ミステリ小説

1992年刊行。本作の叙述トリックはミスリード必至の一級品。

巧妙に伏線が張られているものの、一読してそれを読み解くのは至難です。おそらく真相が明かされた瞬間、読み手の思考は停止し、ミスリードを解明するため再読することになるでしょう。

また、本作は、サイコキラーによる猟奇的殺人の描写が、あまりにグロテスクなことでも有名。その是非はさておき、叙述トリック作品としては外せない作品であることは間違いありません。

新装版 殺戮にいたる病 (講談社文庫) 我孫子 武丸
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「アクロイド殺し」アガサ・クリスティ ★★★★★

おすすめ叙述トリックミステリ小説

1926年に発表された不朽の名作。名探偵ポアロシリーズの3作目。

クリスティー作品の中でも後世に多大な影響を及ぼした作品としてあまりに有名です。

本作の叙述トリックは、称賛と批判を同時に受け、二次的な余波「フェア・アンフェア論争」を巻き起こしたことでも周知されています。

本作については、書評などの予備知識はもたずに一読することをおすすめします。

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫-クリスティー文庫) アガサ・クリスティー
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「慟哭」貫井徳郎 ★★★★☆

おすすめ叙述トリックミステリ小説

1993年刊行。著者デビュー作。

重厚な描写が多いことで知られる貫井作品の中でも、代表作として名高い深みのある一冊。

連続少女誘拐事件を背景に、“彼”の視点で進行する描写が奇異に映り、読み手を引き込んでいきます。

被疑者検挙に尽力する捜査本部の俯瞰と、新興宗教に心の救いを求める“彼”視点の描写はどこで交わるのか。

叙述トリックもさることながら、著者が届けたいメッセージの余韻が残る秀作です。

慟哭 (創元推理文庫) 貫井 徳郎
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「ハサミ男」殊能将之 ★★★★☆

おすすめ叙述トリック-ミステリ小説

1999年刊行。著者デビュー作。同年第13回メフィスト賞を受賞。

インパクトのあるタイトルが目を引きますが、読了後、このタイトルが本作の主旨を端的に示していると感じる作品です。

サイコパスな“わたし”視点の描写に揺さぶられ、伏線に気づきつつも読み手はラストまで翻弄されます。

ハサミ男の犯行を模倣する第三の殺人、その真相を暴くためにシリアルキラーが探偵役をこなすなど、精巧なプロットによって構成されている傑作です。

ハサミ男 (講談社文庫) 殊能 将之
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「迷路館の殺人」綾辻行人 ★★★★☆

おすすめ叙述トリック-ミステリ小説

1988年刊行。綾辻作品“館”シリーズの3作目。

「十角館の殺人」の流れからか、“クローズドサークル”の舞台で起こる“見立て殺人”が本作のプロットです。

そして新味をブレンドしているのが、叙述トリックに絡んでくる“作中作中作”。

エピローグで語られる伏線回収の件は、著者の矜持を感じるフェア・アンフェアの境界線でもあります。ラストの真相究明に迫る談義によって、読み手はもうひとつの衝撃を受けることになります。

迷路館の殺人<新装改訂版> (講談社文庫) 綾辻 行人
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以上があくまで私見による叙述トリック作品の傑作7選ですが、以下の叙述トリック11作品も読了したうえでの厳選7選としています(叙述トリック作品以外のミステリ作品は今回は含まず)。以下の作品も精巧なプロットで構成された名作です。個々の感性によって、マイベストになり得る作品群なので、ぜひ一読することをおすすめします。

「仮面山荘殺人事件」東野圭吾

帯のコピー「スカッとだまされてみませんか」がこの作品の謳い文句。東野作品らしく、読みやすく著者の思惑通りに読み進めてしまう一冊です。

「ある閉ざされた雪の山荘で」東野圭吾

特異な舞台設定で起こる連続殺人。劇中の殺人はどこまでが事実なのか、という疑心暗鬼を抱かせる技巧的な作品です。

「霧越邸殺人事件」綾辻行人

クローズドサークルの幻想的な舞台で次々と起きる見立て殺人。綾辻作品ならではの独特の世界観が読み手を引き込みます。

霧越邸殺人事件<完全改訂版>(上) (角川文庫) 綾辻 行人
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霧越邸殺人事件<完全改訂版>(下) (角川文庫) 綾辻 行人
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「修羅の終わり」貫井徳郎

連続交番爆破事件を背景に、三者視点の展開がどこで交わってくるのか。とりわけ陰鬱とした公安内部の事象が記憶に残る作品です。



「夜歩く」横溝正史

某作と同じ手法が用いられている叙述トリック作品。論点はやはり同作と同じ点に尽きますが、これをどう受け取るかは個々の判断に委ねられます。

夜歩く (角川文庫) 横溝正史
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「蝶々殺人事件」横溝正史

金田一の影に隠れがちな“由利&三津木”シリーズですが、本作はロジカルな本格派。横溝作品特有のおどろおどろしい雰囲気はなく、スマートに読める一冊です。個人的には「本陣殺人事件」よりもこちら。

蝶々殺人事件 (角川文庫) 横溝 正史
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「マリオネットの罠」赤川次郎

赤川作品らしく、全体的に読みやすい一冊。シリアルキラーの存在が際立ち、卓越したプロットによって構成されています。ラストで本作タイトルの趣旨も示されています。

装版 マリオネットの罠 (文春文庫) 赤川 次郎
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「倒錯のロンド」折原一

同作家の十八番そのままに、緻密なプロットで構成された叙述トリック作品。書き手が導くミスリードへ預けるほかありません。


「倒錯の死角 201号室の女」折原一

倒錯シリーズの2作目。常軌を逸した事象の連続に読み手は揺さぶられます。ラストの展開は著者の意向が反映されたものでしょう。

倒錯の死角 (講談社文庫) 折原 一
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「ロートレック荘事件」筒井康隆

書き手の作為によって特異な印象が残る作品。これが受け入れられるか否かは読み手の感性次第でしょう。作品自体は214頁と短くまとめられています。

「星降り山荘の殺人」倉知淳

作者からの挑戦状ともとれるテキストが頻出。叙述トリックを看破してミスリードを回避できるか、一読の価値がある作品です。

新装版 星降り山荘の殺人 (講談社文庫) 倉知 淳
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ドラマ-リバース-湊かなえ-藤原竜也-感想-第1話関連記事:【小説】“脳裏に刻まれる”おすすめ「名作ミステリ」25選

【小説】我孫子武丸「殺戮にいたる病」を読んだ感想・私見(考察)

我孫子武丸-殺戮にいたる病-感想-考察-解説

1992年に刊行された我孫子武丸「殺戮にいたる病」(新装版2017年刊行)。

本作は叙述トリックの傑作として必ず挙げられるほど名高い作品です。

本作の叙述トリックは巧妙なプロットをもとに構成されており、ミスリードしたままラストまで読み進めることは必至。そして、真相が明かされた瞬間、おそらく思考は停止するでしょう。

また本作を語るうえで避けられないのが、サイコキラーが次から次へと猟奇的殺人に手を染めていく過程で、その描写があまりにグロテスクなこと。叙述トリック、グロ描写、両面においてかなりの衝撃を受ける作品であることは間違いありません。

以下は、「殺戮にいたる病」の叙述トリックを推考するため、あくまで読了前提としてネタバレで考察しています。

巧妙に人物誤認のミスリードを誘う傑作「殺戮にいたる病」

本作の構成として、蒲生稔、蒲生雅子、樋口の三者視点でストーリーが展開されていますが、このうち稔視点と雅子視点の相関が叙述トリックの肝となっています。

そのうち稔の人物像については、冒頭にエピローグを挿入し、稔=殺人犯である事実を明かしたうえでサイコパスな雰囲気を漂わせています。本作の心臓ともいうべき稔という人物を、とりわけ特異な存在として読み手に印象づけようとする作為がうかがえます。

ほとんどの読み手は、第一章の雅子視点の描写によって、冒頭から「蒲生稔=雅子の息子」とミスリードするはずです。ここに本作の叙述トリックである人物誤認トリックが仕掛けられています。

樋口視点のパートは全体を俯瞰する役割を担っているので、本作の叙述トリックとなっている蒲生家の人物誤認とは直接関係していません。

蒲生家の人物誤認(1) 誤「稔=息子」 / 正「稔=夫」

我孫子武丸-殺戮にいたる病-感想-考察-解説

前述のとおり、本作で読み手がミスリードする人物誤認トリック、それは「稔=雅子の息子」という先入観。これが、正しくは「稔=雅子の夫」です。

読み手の多くは稔=大学生と誤認しますが、稔が大学関係者であることをほのめかしている伏線は作中にいくつか張られています。

稔が試験のために大学へ出かけたのが昼食を終えてからだったので、雅子は二時頃になって息子の部屋へ入った。

講談社文庫 新装版 第二章 3 二月・雅子 P51抜粋

人物誤認のミスリードをしている場合、“大学生の息子が大学へ出かけたあと、雅子は息子の部屋へ入った”と解釈するはずです。作中の事実は、“大学助教授の夫・稔が大学へ出かけたあと、雅子は息子の部屋へ入った”です。

「稔さん。大学はどうしたの?」
「……ちょっと熱っぽいから。どうせ授業は一つしかなかったし。前期は皆勤した講義だしね、一回くらい休講しても構わないさ」

講談社文庫 新装版 第三章 2 前年~一月・稔 P70抜粋

同じく人物誤認のミスリードでこの会話を解釈すると、“雅子”と“大学生の稔(息子)”の会話になりますが、実際は“容子(稔の母)”と“大学助教授の稔(雅子の夫)”の会話です。学生の側からも解釈できる内容ですが、“休講する”という立ち位置は教鞭をとる側の人間であることをほのめかしています。

「オジンってのを訂正したら、考えてやってもいい」
「分かったわ──お・じ・さ・ま」
 彼は思わず吹き出した。面白い娘だ。

講談社文庫 新装版 第三章 2 前年~一月・稔 P78抜粋

おそらく多くの読み手がここで違和感を覚えるはずです。ミスリードしている場合、少女から見れば大学生の稔はオッサンというという見立てに不自然さはありません。しかし、大学助教授の稔は43歳なので、少女の発した言葉はきわめて自然といえます。ミスリードに気づくかどうかは別として、この描写は伏線ではないかと推察する読み手は少なからずいるはずです。

蒲生家の人物誤認(2) 誤「母=雅子」 / 正「母=容子」

我孫子武丸-殺戮にいたる病-感想-考察-解説

雅子視点のパートは、“稔=雅子の息子”という人物誤認のミスリード描写が主となっていますが、それとは別に、“母=義母(容子)”の存在をほのめかす伏線もいくつか存在します。

そこに違和感を覚えれば、人物を誤認していることに気づけるかもしれません。

夫の給料は、贅沢を言わないかぎり、彼女が働きに出る必要のないほどはあったし、彼がもともと両親と住んでいた一軒家も、五年前に義父が他界してからは夫の名義となっている。

講談社文庫 新装版 第一章 1 二月・雅子 P12抜粋

雅子視点で夫の両親との同居について描写されていることから、義父の他界が掲示されているものの、義母については明示されていません。これはつまり、義母は存命で同居していることを意味します。

母と娘と一緒に作ったおせちを食べ、年賀状を見たりテレビを見たりしているうちにもう夕食の時間だ。

講談社文庫 新装版 第四章 3 二月・雅子 P114抜粋

三人称描写として見過ごしがちですが、この一文は雅子視点の伏線です。「母と娘と」という描写は、雅子視点からみると、「義母・容子」と「娘・愛」と“三人でおせちを作った”ということになります。

雅子はみんなが揃ったある日の夕食で、まず娘の愛に、それとなく旅行の計画を持ち出した。
「ねえ、愛ちゃん。温泉なんか、行きたいわねえ」
「そうねえ」と娘はさほど乗り気でもなさそうな返事。
「お母さんと行けばいい」とむしゃむしゃご飯を噛みながら夫が口を挟む。

講談社文庫 新装版 第五章 3 二月・雅子 P146抜粋

一見、夫が娘に投げかけた言葉のようにみえますが、実際は夫が妻に対して投げかけた言葉。夫視点の“お母さん”は、同居している「実母・容子」を指すことになります。

この人物誤認トリックを仕掛けるために、ラストまで明かされない人物名が二人存在します。それが、「実母・容子」と「長男・信一」です。

蒲生家の人物誤認(3) 「息子=長男・信一」

我孫子武丸-殺戮にいたる病-感想-考察-解説

三者視点のうち、稔視点のパートのみ時系列が先になっています。これは雅子が息子(長男・信一)に対して不審を抱いていることを描写し、読み手をミスリードさせるためのプロットによるもの。

長男・信一は、(時系列が先の)稔の所業に気づき、独自に追跡をはじめています。雅子視点のパートは、この信一の一連の追跡や仕草に対して雅子が疑惑を抱いているという役割を担い、巧妙にミスリードを誘っています。

長男・信一の部屋にあった黒いビニール袋や8ミリビデオは、いずれも信一が夫・稔の所業を追跡して発見したものです。

「おい! その人に見せてやってくれ」野本が声をかけると、担架を運んでいた男達は立ち止まり、死体を覆っていた毛布をめくって見せた。女は倒れこむように担架にしがみつくと、再び大声で泣き始めた。
樋口は後ろから近づき、女の肩に手をかけると、訊ねた。
「……あんたの、息子さんなんだね?」
返事はなかったが、女は何度も頷いているようだった。

講談社文庫 新装版 第十章 10 二十九日午後十一時二十五分・樋口 P340抜粋

ラストの章の樋口視点のパートで描写される、殺害された息子というのは、つまり長男・信一です。ミスリードしている読み手は、“雅子の息子である稔は逃亡している”と人物誤認しているので、混乱をきたしているはずです。

いうまでもなく、ミスリードしている場合、本作ラストの“朝刊一面トップ”のテキストによってすべてを察することになります。しかし、前述のとおり、おそらく何がどうなっているのか理解できないまましばらく思考は停止するでしょう。そして人物誤認トリックに気づいた瞬間、そのミスリード感に衝撃を受けるはずです。

人物誤認していたイメージをリセットするためには、「稔=夫」「息子=信一」「母(お母さん)=容子」をふまえて再読すれば、すべて消化できるでしょう。そして同時に本作のプロットの精巧さにも驚嘆するはずです。

written by 空リュウ

新装版 殺戮にいたる病 (講談社文庫) 我孫子 武丸
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【小説】綾辻行人「迷路館の殺人」を読んだ感想・私見(考察)

綾辻行人-迷路館の殺人-感想・考察

1988年に刊行された綾辻行人「迷路館の殺人」。

本作は綾辻行人作品でシリーズ化されている、“館シリーズ”の3作目にあたります。

本作の舞台は、同作家デビュー作「十角館の殺人」からの流れを受け、建築家・中村青司が手がけたとされる“迷路館”。

「十角館の殺人」はアガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」のオマージュ作品ですが、“クローズドサークル”と“見立て殺人”については、本作「迷路館の殺人」も同様のプロットを踏んでいます。くわえて、本作には作中作(“作中作中作”含む)を用いて新味をブレンドさせています。

そして、作中作では明かされていない真相に迫る巧妙な“叙述トリック”。

以下は、「迷路館の殺人」の作中で幾重にも張られている伏線を推考するため、あくまで読了前提としてネタバレで考察しています。

作中作の見立て殺人、緻密なプロットの力作「迷路館の殺人」

本作の根幹となっているプロット“作中作”は、作中でいう鹿谷門実のデビュー作「迷路館の殺人」です。同作は鹿谷自身が渦中の人物として巻き込まれた連続殺人事件を題材にしたもの。

推理作家・宮垣葉太郎邸“迷路館”で起こった連続殺人事件は、宮垣に招待された作家4人(と秘書)が被害者となった事件ですが、この4人を遺産相続の資格対象者とした“創作コンテスト”が事の発端となっています。これを基として、犯人の動機がひも付けられ、叙述トリックが形成されています。

本編が作中作であることから、プロローグとエピローグがそれぞれの立ち位置で作中作との相関を担い、のちに明かされる伏線回収の精度を高めています。とりわけ、エピローグで事件の真相に迫っていく島田兄弟の推理談義は、フェア・アンフェアという境界も提示しつつ、作中作と(プロローグとエピローグを含む)本作を両立させています。フェア・アンフェアに言及しているのは書き手の矜持かもしれません。

クローズドサークルの舞台で仕掛けられた見立て殺人

綾辻行人-迷路館の殺人-感想・考察

ギリシャ神話を引用した各部屋の名称と、“作中作中作”の冒頭を描写した見立て殺人。いずれも書き手の趣向が織り込まれた、本作には欠かせない要素となって描写されています。

須崎につづき、清村、林が殺害され、最後に舟丘が殺害されるという見立て殺人の構図。林殺害時のダイイング・メッセージ、舟丘殺害時の密室など、読み手を揺さぶる伏線が随所に張られつつ、作中作だけでも事件の経緯は容疑者・宮垣で一応完結しています。ただ、綾辻作品らしく、本作にはもうひとつ別の衝撃がエピローグに用意されています。

第四章「第一の作品」の須崎殺害について鹿谷が推理する、“犯人の身体から流れ出た血痕を隠蔽する必要があった”という「ミノタウロスの首」の見立て殺人。

これが作中作の第一の殺人であるのと同時に、エピローグで島田勉が指摘しているように、事件の真相究明への転換点となる鍵にもなっています。

「という具合にね、いったん疑ってかかってみると、ある一点を転換のポイントとして、この事件はまったく異なる解釈が可能になってくる。~ 中略 ~」
「その『ある一点』というのは何なんでしょう」
「犯人は何故、須崎昌輔の首を斧で切る必要があったのか」
 島田が云うと、鹿谷は顎の先をゆっくりと撫でながら、
「さすがですね」
と微笑んだ。
「で、その答えは?」
「作中ですでに述べられているとおりさ。現場を汚してしまった自分の血の痕を隠すためだろう」

講談社文庫<新装改訂版> エピローグ P435抜粋

作中作とプロローグ&エピローグの相関

綾辻行人-迷路館の殺人-感想・考察

本作がある意味力作といえる要素が、作中作とプロローグ&エピローグの相関にあります。その相関は書き手の熱量が伝わってくるような力感があります。

前述のとおり、作中作だけでもミステリ作品として完結していますが、エピローグに用意されている真相に迫る推理が本作の肝。

エピローグの地の文で描写されている、“意図して曖昧に描写されているある人物の「性別」”。これが叙述トリックに絡む連続殺人事件の真犯人説となっています。

どうしてこの小説では、ある作中の人物について、故意に読者の難解を招くような記述がなされているのか。
 ~ 中略 ~
「白いスーツでも着こなせば、若い頃は“美青年”で通用しただろうなと思わせる」といったきわどい表現もあるが、この人物の性別に関する描写は総じて、どちらとも取れる曖昧な書き方で済まされているのである。

講談社文庫<新装改訂版> エピローグ P439抜粋

エピローグで語られる物的証拠のない推理は、伏線を回収する役割を担っていることはいうまでもないものの、作中にもあるようにフェア・アンフェアについてかなり意識しているように感じます。

個人的には、「十角館の殺人」ほどの衝撃は得られませんでしたが、本作「迷路館の殺人」は、書き手の趣向と力感あふれるプロットを十分に堪能できる作品です。

written by 空リュウ

迷路館の殺人<新装改訂版> (講談社文庫) 綾辻 行人
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【小説】殊能将之「ハサミ男」を読んだ感想・私見(考察)

殊能将之-ハサミ男

殊能将之デビュー作「ハサミ男」(1999年刊行)。本作は同年第13回メフィスト賞を受賞し、さらに同年「このミステリーがすごい!」の9位にランクインしています。2005年には主演・豊川悦司、麻生久美子で映画化もされました。

本作は叙述トリックの傑作選で必ずといっていいほどピックアップされている一冊。

“わたし”の視点で進行する一人称の章が際立ち、“わたし”のサイコパスな行為が読み手の心理を翻弄します。ハサミ男の犯行を模倣する第三の殺人、その真相を暴くためにシリアルキラーが探偵役をこなすなど、叙述トリック以外の稀有な設定が本作のおもしろさを助長させています。

本作を考察するうえでネタバレは避けられず、以下はあくまで読了前提の私見です。

性別をミスリードさせる叙述トリック「ハサミ男」

作中ですでに二件発生している女子高生広域連続殺人事件。この二つの事件はいずれもハサミ男の犯行であることを“わたし”が明かしていますが、(“わたし”の犯行ではない)第三の殺人事件を“ハサミ男当人が発見する”という件からストーリーが展開されています。

叙述トリックの傑作という肩書きから無意識に身構えてしまいがちですが、まずはタイトルそのものが伏線。察しのいい読み手は、このタイトルからすでに何らかの準備をしているはずです。

プロローグ的な位置づけからはじまる(数字の章の)一人称“わたし”は、ハサミ男の視点です。読み進めるうちに自ずと感じるのが、「“わたし”の性別を明かさない」という点。ここに違和感を抱いてしまうので、おそらく「性別」がこの叙述トリックの肝なのだろうと早々に推察できます。

多重人格の“わたし”が担う探偵役

殊能将之-ハサミ男

精神障害を抱え、幾度も自殺を試みる“わたし”。そしてその内に時おり現れる“医師”。

エピローグを担う27章に、医師に関連する描写がみられますが、この医師は“わたし”の父親を投影した幻覚であると推察できます。

「いかん、ライオス王のお出ましだ。ぼくはあいつが苦手でね。このへんで失礼するよ」
 医師は自分の部屋へ帰っていった。
 すると、不思議なことに、看護婦に連れられて、病室の入口からふたたび医師がやってきた。
 いや、違う。医師にそっくりだが、医師とは別人だった。
 ~ 中略 ~
あまり親に心配をかけるものじゃない、と医師そっくりの男は言った。
 ~ 中略 ~
おまえが母さんのことで、まだこだわりを持っているなら……。

講談社文庫 27 P498抜粋

父親らしき人物との会話として描写されていますが、別人格の意思は、つまり、当人の潜在意識。“わたし”の過去に、家庭内の不和によって、精神障害を引き起こす何からの事象が発生していると推察できます。

多重人格の障害に悩まされる“わたし”は、この医師の“お告げ(潜在意識)”によって第三の殺人の真犯人を追い求めることになります。

第一、第二の殺人事件のシリアルキラー“わたし”が、ほかの誰かが犯したハサミ男(の犯行)の模倣犯を追う探偵役に──。この着想は、スリリングな展開がはじまることを読み手に印象づけることに成功しています。

読み手は、「(一人称の)“わたし”は日高なのか」という点と、「第三の殺人の真犯人が誰なのか」という点の二つの疑念を抱きながら読み進めることになります。

一人称の“わたし”の性別は──

殊能将之-ハサミ男

“わたし”の性別は男なのか、または女なのかについては、一人称の“わたし”の章にいくつかの伏線が張られています。

穿った見方をしなくとも、素直に受けとれば、これはむしろ女ではないかと推察できる部分。

 見れば見るほど、きれいな子だった。
 わたしから見ても美人だと思えるくらいだから、同世代の男子生徒には、さぞかしもてることだろう。
講談社文庫 5 P49抜粋

女性目線の描写と受けとったほうが自然で、逆に日高の目線と考えたほうが違和感があります。そして、伏線ともとれる立ち位置の人物に岡島部長がいます。

 岡島部長はあいかわらず頬づえをついて、窓の外の曇り空をながめていた。わたしが近づくと、視線はそのまま、
「このうっとうしい天気はいつまでつづくんだろうねえ」
と、つぶやくように言った。
 岡島部長は五十代の女性だった。
講談社文庫 2 P21抜粋

“わたし”がバイトしている氷室川出版の編集部岡島部長は女性ですが、この人物も性別を明かさなければ男女どちらともとれる口調が続いています。

プロローグ的な段階で、この人物を女性として立てることで、のちに“わたし”が安永知夏、すなわち女であることを明かしても違和感を覚えない役割を担わせているのかもしれません。

また、週刊アルカナ編集部の黒梅(女性)の言葉も伏線になっています。

 寒風の吹きすさぶ店外に出ると、黒梅はわたしをじろじろ見つめて、
「ねえ、あなた、いつもそんな格好なの?」
 いきなり、そう言った。なんとも、ずけずけとものを言う女だ。
 わたしは自分の服装を見なおした。手編み風セーターにジャケット、ジーンズ、スニーカー。
「そうだけど、変かな」
「まあ、悪くはないけど」
 黒梅はわたしを上から下まで品さだめすると、
「もう少し、おしゃれしたほうがいいんじゃない?」
講談社文庫 14 P233、234抜粋

“わたし”が男でも成立する会話ですが、どちらかというと、女同士の会話と受けとったほうが自然に思える部分です。のちに明かされる、“安永知夏=美人”という設定からも、このときの黒梅の心情は理解できる範疇でしょう。

客観的事実を示す三人称の章に隠された真実

殊能将之-ハサミ男

一人称で描写されているハサミ男の視点の章とは異なり、全十四章から成る本編は、捜査に奔走する警察組織を俯瞰で描写し、客観的事実を示す三人称で進行しています。本編の地の文は、いわゆる“信頼できるはずの描写”です。

ハサミ男が誰であるかを明かさないのは叙述トリックによるものですが、ストーリーの本筋である第三の殺人のトリックは本格ミステリのカテゴリ。

第三の殺人はいったい誰の犯行によるものなのか。

ハサミ男が第三の標的として追っていた女子高生・樽宮由紀子が、他の誰かによって(ハサミ男の犯行であるかのように)偽装工作して殺害され、偶然ハサミ男当人が遺体の第一発見者になるというのが本作のプロット。

ハサミ男の犯行を装って私怨をはらした真犯人が、実は警察組織内部の者、それも指揮をとる側の警視正・堀之内による犯行だったというのは、読み手にインパクトを与えるには十分なトリックです。

求めてしまうのはその相関と動機ですが、樽宮由紀子は複数の男性と関係があって堀之内はその一人、そして動機が恋愛のもつれによる報復というもの。この設定が安易すぎて、個人的にはもの足りなく、やや尻すぼみな印象。

以下はエピローグ的な役割を担う一人称の章のラスト(27章)ですが、堀之内、磯部、安永知夏が対峙するシーンで、堀之内がハサミ男の正体を明かさないまま自決するのは、“安永知夏の次の犯行を仄めかして終えたい”という書き手の意図があるのだろうと推察します。

 彼女は十五、六歳くらいで、きっと老婆の孫なのだろう。髪を後ろで結んで、赤いセーターとキルトスカートがよく似合っていた。丸顔におとなしそうな微笑を浮かべている。
 とても頭のよさそうな子だった。
「きみ、名前はなんていうの?」
 と、わたしは訊ねた。
講談社文庫 27 P501、502抜粋

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ハサミ男 (講談社文庫) 殊能 将之
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【小説】アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」を読んだ感想・私見(考察)

アガサ・クリスティ-アクロイド殺し

1926年に発表された不朽の名作アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」。クリスティ長編作品の6作目、ポアロシリーズとしては3作目の作品です。

本作は後世に多大な影響を及ぼした名著として知られていますが、奇想天外な着想ゆえに、称賛と批判を同時に受けることになった作品でもあります。当時まだテクニックとして認知されていなかった“叙述トリック”を、クリスティ流のアイデアで衝撃のトリックとして成立させています(叙述トリックそのものは本作発表以前に先例あり)。

また作品発表後の二次的な余波もこの作品をさらに世に広めました。

ひとつは「フェア・アンフェア論争」。本作のプロットが奇抜なため、「推理小説としてフェアな要素といえるのか」という一大論争が当時巻き起こっています。アンフェア側の急先鋒S・S・ヴァン・ダインがのちに発表した「ヴァン・ダインの二十則」はあまりにも有名。そしてクリスティの失踪──。

本作の醍醐味、そして何がアンフェアといわれてきたのか、あくまで個人的な見解として、以下は読了前提のネタバレで考察しています。

“クリスティ流” 叙述トリックの名作「アクロイド殺し」

舞台になっているのはイギリスの片田舎キングズ・アボット。この村で資産家のフェラーズ夫人が亡くなったという件から物語が始まります。

わたしと姉のキャロラインのやりとりについて書き進める前に、地元の地理について、多少とも説明しておいた方がいいだろう。わたしたちの村、キングズ・アボットは、イギリスのどこにでもあるような、ありふれた村である。

ハヤカワ文庫 2「キングズ・アボット村の人々」P18抜粋

文脈からもわかるように、全編が一人称で進行していきます。一人称の主は村の医師として日々応診に勤しむシェパード医師。

このように、月曜の夜までの話は、ポアロ自信が語っているも同然だった。彼がシャーロック・ホームズで、わたしはワトスン役を務めた。

同 16「セシル・アクロイド夫人」P245、246抜粋

ポアロシリーズといえば参謀のワトソン役はヘイスティングズ大尉ですが、本作では不在(アルゼンチン在住)。代わりにシェパード医師が進行役としてワトソン役を担っています。

物語としては、「富豪ロジャー・アクロイド刺殺事件」の真相を究明していく過程が描写されていますが、シェパード医師によって語られる登場人物は、各々が個人的な思惑により何らかの秘密を抱え、事実を隠しています。

ポアロシリーズの真骨頂といえば、会話の中から導き出されるポアロの推理。ときおりポアロが発する「灰色の脳細胞」というセリフも、推察することの重要性を推したユーモアのひとつ。それによって明らかにされていく真実は、張り巡らされた人物相関の伏線を徐々にひも解いていきます。

一人称の語り=「全27章の手記」

アガサ・クリスティ-アクロイド殺し

物議をかもしたという点で特筆すべきは、語り手シェパード医師の一人称。

見出しなどで明確に掲示されていないため、読み手としてはシェパード医師の語り(一人称)という見地で物語が進行していると思い込むはずです。しかし、実は本作の地の文そのものがシェパード医師が書き上げた手記だったという設定。

つまり、本作そのものが手記。解説でも述べられていますが、読み手のほとんどはそれに気づかず23章(またはラスト)まで読み進めるでしょう。

ホームズとワトソンの関係、つまり探偵役と進行役(語り手)が存在し、進行役は手記として綴っているというセオリーを承知していれば、本作のそれも見抜けるのかもしれません。

たしかに作中で「書き進める」という描写がありますが、それはシェパード医師の行為を示すものだと思い込むはずです。これは書き手(作者クリスティ)側からすると、狙ったとおりのミスリードということになります。

フェア・アンフェア論争にも直結しますが、全編がシェパード医師の書いた手記ということになると、ディクタフォン(録音機)を使ってアリバイトリックを仕掛け、犯行を隠蔽しようとしている当人が“すべてを書き記すはずがない”という設定もアリということになります。

“信頼できない語り手” シェパード医師

アガサ・クリスティ-アクロイド殺し

現在では類似作品も多いものの、本作が発表された当時は叙述トリックそのものの地位が確立されておらず、侃々諤々の議論がなされたであろうということは容易に想像がつきます。

「一部を曖昧にしたが嘘は書いていない。すべて事実である」という見地も、読み手としては額面通り受け取ることはできず、“信頼できない語り手”という位置づけになります。

地の文に「客観的な事実」が書かれているという保証はなく、探偵役が犯人を突き止める前に、読み手が犯人を推理するための十分な材料が提供されているとはいえません。これらを総合するとアンフェアであるという主張は至極当然です。

ただ、フェア・アンフェアに関わらず、「“アクロイド殺し”は面白い」ということに変わりはありません。フェアに描写すればそれが面白い作品になるのか、という疑問も頭をもたげます。結局のところ、批判されようが論争を巻き起こそうが、面白い作品は評価されてしかるべき。のちに発表されている「オリエント急行の殺人」「ABC殺人事件」よりも「アクロイド殺し」のほうが読後感が強く残ります。

叙述トリックの“コロンブスの卵”は、色あせることなく、後世に語り継がれる名作であるということは疑いのない事実でしょう。

個人的には、“シェパード医師が犯人だったとしたら”という見立てで読み進めたので、“実は全編手記だった”という設定のほうにインパクトを受けた作品です。

written by 空リュウ

アクロイド殺し (ハヤカワ文庫-クリスティー文庫) アガサ・クリスティー
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【小説】綾辻行人「十角館の殺人」を読んだ感想・私見(考察)

綾辻行人-十角館の殺人-感想・考察

1987年に刊行された綾辻行人デビュー作「十角館の殺人」。

本作は当時、“新本格ブーム”なる本格ミステリの先駆けとして多大な影響を及ぼしたといわれています。クローズドサークル(外界との連携が絶たれた状況)の舞台設定で、ミスリード必至の叙述トリックが仕込まれている傑作。

作中でもふれられていますが、本作はアガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」のオマージュ作品です。同作も読むとすれば、順序としては、「そして誰もいなくなった」を読了後、「十角館の殺人」を読むほうがより醍醐味を味わえます。

本作冒頭で以下の献辞があるように、先人に敬意を払っていることは言うまでもありません。

──敬愛すべき全ての先達に捧ぐ──

綾辻行人-十角館の殺人-感想・考察

アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」は1939年に刊行された作品。

トリックそのものは衝撃を受けるようなものではないものの、クローズドサークルとなった孤島で、マザーグース(伝承童謡)の一つ“10人のインディアン”の見立て殺人が展開されるというプロットが秀逸です。集められた10人にはそれぞれ背負う過去があり、殺人が起きるたびに10体の人形が一つずつ減っていくという演出も不気味さがあって妙味。

80年の時を経ていますが、今もなお愛読されている不朽の名作です。「十角館の殺人」以外にもオマージュ作品として著名な作品が数多く存在し、後世に影響を及ぼし続けている偉大な作品といえます。

以下は、「十角館の殺人」の叙述トリックを推考するため、あくまで読了前提としてネタバレで考察しています。

クローズドサークルの死角をついた叙述トリック「十角館の殺人」

舞台は外界との音信を絶たれた孤島“角島”。本作のクローズドサークルは、K**大学ミステリ研究会のメンバー7人が外界との連絡を絶って角島で7日間を過ごすというもの。

孤島が舞台になっている点は、「そして誰もいなくなった」と同じ設定です。「十角館の殺人」の舞台“角島”は作中で大分県の離島と描写されていますが、この角島のモデルは、大分県大分市に実在する“高島”といわれています。

この孤島“角島”でミステリ研究会のメンバーの身に降りかかるのが見立て殺人。童謡などの掲示はありませんが、“被害者(1~5)”、“探偵”、“殺人犯人”からなる7枚のプレートは、オマージュ作品であることからも不気味さと緊張感を助長するうえで不可欠な要素となっています。

そしてクローズドサークルを掲示された場合、その中に犯人が存在することを疑うのが王道。ただ本作の場合、その範疇でありながらも、トリックの重要な役割を担っているのが“ニックネーム”。そして“島”の章と隔てて描写されている“本土”の章です。それぞれ読み手をミスリードさせる役割を担い、クローズドサークルの死角をついた驚愕のトリックを成立させています。

“ニックネーム”が担うミスリード

綾辻行人-十角館の殺人-感想・考察

本作の叙述トリックで切っても切り離せないのが、メンバー同士をニックネーム(欧米のミステリ作家が由来)で呼び合うという設定。

展開順が肝になるため、まず先の“島”の章で、ミステリ研究会メンバーの本名を明かさないままニックネームのみで展開していき、後の“本土”の章では登場人物の本名を明かして展開しています。これによって、読み手は、ミステリ研究会に携わった人物は“ニックネームで呼び合う”という先入観をもちます。

先入観をもったまま後の章の“本土”を読み進めるため、島田のセリフで追い打ちをかけられたことに違和感を覚えません。

「江南君か。うん、いい名前だ」
組んだ手をそのまま頭の後ろにまわして島田はまたそう云ったが、このとき彼は、江南を「かわみなみ」ではなく「こなん」と発音した。

講談社文庫<新装改訂版> 第二章「一日目・本土」P89抜粋

早々に「江南=コナン(コナン・ドイル)」のイメージをすり込まれているので、その字面から「守須=モリス(モーリス・ルブラン)」と変換するのが自然な流れ。読み手が作家の名前を知っているかどうかは別として、“モリス”に類するニックネームに自動変換させるのが書き手の狙いです。

のちのち明かされますが、角島に渡ったミステリ研究会メンバーの本名(山崎、鈴木、松浦、岩崎、大野、東)と、本土にいるミステリ研究会メンバーの本名(江南、守須)が、いかにも異なるテイストで設定されています。

カタカナのニックネームは本作の重要なプロットではあるものの、偉人風のニックネームで呼び合われるのは、正直なところ個人的には苦痛な設定。本作におけるキラーコンテンツではありますが、ともすると脱落しかねない諸刃の剣にも感じます。

“本土”の章が担うミスリード

綾辻行人-十角館の殺人-感想・考察

本作のプロットのうち、読み手の意識をクローズドサークルからそらせて、驚愕のトリックを成立させる位置づけを担っているのが“本土”の章です。

探偵役の島田と河南を泳がせることで、角島で過去に起きた四重殺人の犯人の影を仄めかし、中村青司生存説や吉川誠一生存説、または中村紅次郎真犯人説をちらつかせています。

相乗して、中村青司を名乗る怪文書も、読み手の意識をそらせる効果を担っています。

これらが本筋でないことはすぐにわかりますが、あくまで可能性という点で、“島”の章でもエラリイが中村青司生存説を訴え始めるという流れをつくっています。

そして“本土”の章が担うもっとも重要な役割は、守須という人物を存在させること。読み手は“本土”の章の展開が何を意味しているのかわからないまま読み進めるため、探偵役の島田と河南の動向に振り回されるはずです。

叙述トリックとしてのインパクトが絶大なぶん犯行の動機に関心が募りますが、この点はやや物足りないというのが率直な印象。動機にも直結する当人同士の関係は作中では伏せられたまま展開され、“八日目”の章で、犯人の独白によって動機と犯行の経緯が語られています。

この独白はいわゆる「そして誰もいなくなった」でいうところの、“壜”に詰めて海に投じられた“犯行手記”。ディテールを明らかにすることで違和感を覚える部分、とりわけ“五日目”の章でアガサが殺害される一幕──が少なからず出てきますが、そこは同作に対する書き手の敬意でしょうか。

また、プロローグとエピローグでは、犯人の(犯行前の)心情と終局の一幕がつづられています。この必要性がいま一つ消化できていませんが、重要なのは「そして誰もいなくなった」と同様に、“ディテールにこだわるのではなく、秀逸なプロットを堪能する”ことなのだろうと思います。

written by 空リュウ

十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫) 綾辻 行人
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そして誰もいなくなった (ハヤカワ文庫-クリスティー文庫) アガサ・クリスティー
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【小説】折原一「異人たちの館」を読んだ感想・私見(考察)

折原一-異人たちの館-感想・考察

1993年に書下ろしの単行本として刊行された折原一「異人たちの館」。

本作は、初版の単行本以降、二度文庫化されています。さらに二度目の文庫化から14年の時を経て2016年に三度目の文庫化。文春文庫版のあとがきで著者も語っているように、著者渾身の“マイベスト”でありながら、発行部数は決して多くはないようです。

2018年本屋大賞発掘部門の「超発掘本!」に選ばれたことからも、本作「異人たちの館」の知名度はさらに上がりました。

不朽の名作として名高い本作の叙述トリックは、いくつかの要素が織り交ぜられ、ミスリードを誘発する精巧なプロットのうえに成り立っています。作中作によって本編の現在と虚構の境界を混濁させ、さらに過去実際に起きた事件のアレンジ版を描くことで、読み手が先入観を抱くように巧妙に導いています。

以下はあくまで私見ですが、本作の醍醐味を突き詰めるべく、読了前提としてネタバレで考察しています。

プロットの緻密さが際立つ多重文体、叙述トリックの名作「異人たちの館」

本作は、行方不明になった小松原淳の伝記を残そうと、淳の母・妙子が島崎潤一にゴーストライティングを依頼したことが起点となって展開されています。

主人公役のフリーライター・島崎潤一は、純文学の新人賞を受賞したこと以外特筆するものがない、冴えない人物。その一方で、依頼者側の小松原家の面々はどれも特異な人物像で描かれています。小松原家の人物を際立たせるために、対比として島崎潤一の人物像をごくごく普通に印象づけているかのような描写。小松原家の中でも、とりわけ小松原妙子は、読み手に不気味な人物として印象を与えます。

折原一-異人たちの館-感想・考察

小松原一家を含む全体の人物相関からも推察できますが、本作を読み終えて感じることの一つに、相当な時間を費やしたに違いないプロットの緻密さがあります。練りに練られた構成であることを、人物相関に張られている伏線の数と、頻出するテキスト(多重文体)の量が物語っています。子連れ同士の結婚でありながら実は血のつながった関係であることや、父・譲司の正体、淳と島崎の相関など、人物相関にもあらゆる要素が詰め込まれています。作中では、とにかく地の文以外のテキストが多く、独白、短編小説、年譜、関係者インタビューなど、頭の整理がつかないうちに、次から次へと新手の叙述が読み手を揺さぶってきます。

インパクトを与えるもう一つの要素が、過去に実際起こった事件のアレンジ版を作中に登場させている点。大雪山SOS遭難事件と東京埼玉・幼女連続殺人事件を彷彿とさせるストーリーは、現実の過去にタイムトリップさせる十分な効果があります。とりわけ、樹海遭難者の“HELP”文字、幼女連続殺人犯を匂わせる“今田勇子”という偽名は、現実世界の過去とも時空をつなげる効果を担っています。

折原一-異人たちの館-感想・考察

さらに、作中の過去と現在を混濁させる別の要因として“異人”の存在があります。関係者インタビューから浮かび上がる異人が、本編の現在にも存在することから、その正体が誰なのか、読み手は惑乱し、揺さぶられ続けます。ドイツ人貿易商が建てた洋館という設定にも不気味さが漂っていますが、その地下室で異人が登場するシーンなどはホラーに近い描写で綴られ、この人物を強烈な印象として残すことにも成功しています。

現在と虚構の境界を混濁させる多重文体

折原一-異人たちの館-感想・考察

独白以外にも頻出しているテキストの数々。中でも小松原淳が幼少期に書いたとされる短編小説は、作中で実際に起きた事故(事件)を綴っているかのように読み手の先入観を導いていきます。読み手は、この内容が事実なのか虚構なのか分からないまま、次から次に登場する短編小説の描写に惑わされます。

多重文体の一つである小松原淳の関係者へのインタビューも、浮かび上がってくる過去を謎多く描いています。淳の妹・ユキの周辺で起きた幼女連続殺人事件、淳の周辺で起きている数々の不審死、不審死に関与しているかのような異人の存在、地下室で目撃された黒い影、徐々に異変を感じさせはじめる淳の言動など、あらゆる手法で伏線を張ってきます。これらの伏線については、あえて謎解きをするよりも、むしろ著者の思惑に身を任せて騙されるほうが回収の醍醐味を味わえます。

そして、本作の挿入歌のように所々で登場する童謡・赤い靴の歌詞“異人さんに連れられて”。小松原妙子が口ずさみ、異人の存在がちらつく要所でもテキストがインサートされています。BGM的な役割でも使われていることから、この旋律が効果的。本作の多重文体の中で、このテキスト(歌詞)だけ特異な用途で使われていますが、著者の巧みな技法の一つとして印象に残ります。

独白(モノローグ)が担う叙述トリック

折原一-異人たちの館-感想・考察

全4章、計600ページ超の長編ストーリーに、計10回挿入されている独白。冒頭モノローグ1の文中に「こまつばら」という独白が記述されていることから、読み手はこの独白が小松原淳のものであることを連想します。

本編で小松原淳が過去に西湖界隈の樹海を訪れていることからも、この独白は小松原淳の独白であると読み手にミスリードさせる役割を担っています。

読み手としては、おそらくこの独白はラストでつながってくるのであろうという推測が立ちますが、一方で読み進めていくうちに、この独白の人物は小松原淳ではなく島崎潤一ではないか、という憶測も頭をよぎります。

ラストまでこの独白は小松原淳のものだと思い込んで読み進められた場合は、それなりの衝撃を得られるはずです。もしラストにたどり着く前に、この独白が島崎潤一のものであると気づいた場合でも、本作のプロットの精巧さに感服するのではないでしょうか。

written by 空リュウ

異人たちの館 (文春文庫) 折原 一
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【小説】貫井徳郎「慟哭」の叙述トリックを考察

貫井徳郎-慟哭-叙述トリック-考察

1993年に刊行された傑作ミステリ貫井徳郎「慟哭」。

本作は同作家のデビュー作であり、代表作のひとつにも推される名作です。同作家特有の重厚な描写は、デビュー作でその礎を築いています。

プロットも秀逸。連続少女誘拐事件を背景に、当該事件の陣頭指揮を執る警視庁捜査一課長・佐伯。心の隙間を埋めるべく新興宗教に救いを求める“彼”・松本。この二者の視点を中心とし、それぞれの章でストーリーが展開されています。

本作はミスリードを誘う叙述トリック作品です。その叙述トリックを検証するため、以下は読了前提としてネタバレで考察しています。

時系列に潜むミスリード「慟哭」の叙述トリック

奇数章で描写される“彼”・松本の心情、偶数章で展開していく警察捜査本部の俯瞰。偶数章はいうまでもなく佐伯を中心として描かれています。

偶数章が本作の軸となって進んでいくため、一見、奇数章は本編とはかけ離れたストーリーのように感じます。読み進めていくうちに、新興宗教に没頭していく松本はどこで本編に交わってくるのか、という疑念が頭をもたげます。

続発する少女誘拐事件の時系列は──

貫井徳郎-慟哭-叙述トリック-考察

計7人もの少女が消息を絶った連続誘拐事件。

佐伯の章と松本の章でそれぞれ描写されていることもあり、同時期に事件が発生しているかのように誤認してしまいがち。

しかし、作中でも掲示されていますが、時系列でみると奇数章と偶数章は同時期ではありません。正確な時系列は、偶数章の佐伯編が先であり、奇数章の松本編が後です。

この時系列の差異が、本作の叙述トリックの根幹になっているため、これによって自ずとみえてくるものがあります。

新興宗教に執心する信者としての“松本”

貫井徳郎-慟哭-叙述トリック-考察

娘を失ったことによって空虚な精神状態となり、心に開いた穴を埋めるべく新興宗教に執心していく“彼”・松本の視点で、奇数章は描写されています。

本作の本編のように映る偶数章と交互に読み進める奇数章は、どこかスピンオフのような、奇異な印象を読み手に与えています。

娘を亡くした正体不明の松本という人物が、ついには黒魔術を盲信し、依代として生身の身体を求めて少女を次々と殺害していくさまは、偶数章で続発している事件の犯人を連想させます。しかし、どうにも辻褄が合いません。

そして、早い段階で頭をよぎる「彼(松本)は佐伯ではないか」という憶測も、時系列の差異によって読み手に混乱を生じさせます。

いずれにおいても、時系列の差異に気づかず、先入観で同時進行のストーリーとして読み進めているうちは、きっちりミスリードしていることになります。

事件解決につとめる捜査一課長としての“佐伯”

貫井徳郎-慟哭-叙述トリック-考察

偶数章の佐伯編は、警視庁捜査一課長という立場から、連続少女誘拐事件の被疑者検挙に尽力する一連の俯瞰が描写されています。

時系列で先の偶数章において、佐伯は捜査する側の人間。三件の連続少女誘拐事件を追いかけている最中、自らの娘が4人目の犠牲者となってしまうシーンが偶数章のラストです。

時系列でいう、「偶数章のラスト以降、奇数章の冒頭まで」の空白の期間は作中で描写されていません。この空白の期間に変化があったと想定されることは、「佐伯が辞職し、姓を旧姓(松本)に戻した」ということでしょう。

これらのことから構成がわかりますが、時系列で先になっている偶数章の連続少女誘拐事件と、時系列で後になっている奇数章の連続誘拐事件はまったく別の事件であり、被疑者も異なります。つまり、本作は、時系列も被疑者も異なる、まったく別の二つの事件を描いた作品です。

以下は推測にすぎませんが、著者は、意図的に「松本=佐伯」という連想を早い段階で読み手に意識させているのでは。叙述トリックの伏線もあからさまに掲示しているところからも、ミスリードを誘ってミステリとして成立させつつも、メッセージは別にあるのではないでしょうか。

それは、捜査一課の刑事・丘本の分析力、捜査一課長・佐伯の洞察力、娘を奪われた父・松本の慟哭などの重厚な描写が、本作の核心を物語っているのかもしれません。

written by 空リュウ

慟哭 (創元推理文庫) 貫井 徳郎
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【小説】貫井徳郎「修羅の終わり」の叙述トリックを考察

貫井徳郎-修羅の終わり-叙述トリック-考察

1997年に刊行された長編ミステリ貫井徳郎「修羅の終わり」。

連続交番爆破事件を背景に、公安刑事とそれに従うスパイに絡むサスペンスが本編となり、章ごとにそれぞれ三者の視点からストーリーが展開されていく秀作。とくに公安内部の事象が陰鬱としていて色濃く、フィクションと理解していながらも、どこか現実世界の逸話を描いているようにも感じるほど描写にリアリティがあります。

本作は、叙述トリックによって読み手をミスリードへ誘う傑作です。巧みな叙述トリックに誰もが掛かり、読後、釈然としないモヤモヤ感が残るのは必至。その叙述トリックを検証するため、以下は読了前提としてネタバレで考察しています。

巧みな叙述トリックでミスリードへ誘う「修羅の終わり」

己の信念にもとづいて正義を貫こうとする公安新米刑事・久我。強欲を押し通して意のままに生きる所轄の悪徳刑事・鷲尾。そして、歌舞伎町の路上で目覚め、記憶喪失になっていることに気づく青年・“僕”。

この三者の視点からそれぞれのストーリーが展開されていきますが、本作の叙述トリックを考察するうえで核心となるのがそれぞれの時代背景(年代)です。

本作はいわゆる犯人探しの推理ものではありません。また、ミスリードを誘う叙述トリックそのものを見誤ってしまうと、本作の醍醐味を見失うことにもなりかねません。三者がそれぞれどこでつながるのかを見極め、叙述トリックに隠された真実にたどり着くところに妙味があります。

第1の視点 公安新米刑事「久我恒次」

貫井徳郎-修羅の終わり-叙述トリック-考察

久我の視点から本筋が展開されていくため、まずはこの年代が重要です。これがいつなのか。読み進めていくと時代背景が掲示されていますが、第1の視点・久我の章は“1970年代初め”であることがわかります。

久我の章は主に公安の内部が描写されていますが、とりわけ上司である藤倉の存在が大きく、藤倉は他の視点(章)ともつながる可能性のある重要人物と考えられます。

そして久我の視点を考察するうえで欠かせないのが「斎藤」の存在。本作の叙述トリックは“斎藤に始まり斉藤に終わる”といっても過言ではないほど。斎藤には姉がいますが、この「姉弟」という設定が第1と第3の視点で鍵になっています。藤倉の指示によって、懲罰のため久我に強姦された女は、はたして誰なのか(後述)。

第2の視点 所轄の悪徳刑事「鷲尾隆造」

貫井徳郎-修羅の終わり-叙述トリック-考察

第2の視点・鷲尾の章は、一見したところ第1と第3の章とは関連性のない、切り離されたストーリーのようにも感じます。読み手は久我と同じ時代と思い込んで読み進めていくはずですが、実はこの年代は“1990年代初め”です。

己の欲望のまま突き進むその卑劣な素行は、鷲尾という人物を悪徳刑事として描くことに成功しています。そのため、問題のある鷲尾の素行は、警察内部でも目をつけられて当然という描写に違和感を覚えません。

あらぬ容疑で懲戒免職処分となる鷲尾は、誰の手によって罠に嵌められたのか。仮にこれが公安の仕業だったとすると、腑に落ちる構成です(後述)。

そして、無職となり、警察へ恨みを募らせる鷲尾に近づく人物・白木の登場。この人物が第2の章と第3の章を結びつける鍵になるのではないかと推測します(後述)。

第3の視点 記憶喪失の青年「真木俊吾」

貫井徳郎-修羅の終わり-叙述トリック-考察

3つの視点の中でもっともミステリアスな存在が、記憶喪失の青年“僕”です。

小織から発信される「斉藤拓也」のフェイクによって、この記憶喪失の青年が、第1の視点に登場する「斎藤」と重なり、読み手を混乱させます。

強引に辻褄を合わせようとすると、どうしても無理が生じ、ファンタジーを連想せざるを得ない矛盾を感じてしまいます。また、“自殺した姉”という存在も「斎藤」と“僕”を混同させる一因として設定されています。

しかし、第3の視点は「真木俊吾」に相違なく、「斉藤拓也」でも「斎藤」でもないことが作中で掲示されています。そして、最後の一行によってつながる第1の視点と第3の視点。それを紐解くと、藤倉の指示によって久我に懲罰(強姦)され、自殺へと追い込まれた女は、“僕”の姉、つまり真木俊吾の姉ということになります。

この事実により、“真木俊吾には久我に対する復讐の念が生じている”という正当性が掲示されたことになり、読み手に「斎藤と久我」というイメージを強く与えている裏で「真木俊吾と久我」が紐づけられていたことを明らかにしているといえます。よって、第3の視点である記憶喪失の青年・真木俊吾の章は、第1視点の久我と同じ“1970年代初め”と位置づけられます。

白木という男、山瀬という存在

貫井徳郎-修羅の終わり-叙述トリック-考察

本作の展開においてきわめて重要な存在でありながら、その素性が明かされない人物が二人登場しています。

懲戒免職になった元刑事・鷲尾を扇動する白木、姉が警察官(久我)によって乱暴されたことを弟・真木に明かす山瀬です。

以下は推測ですが、構成的には辻褄が合うと考えられるので、個人的には消化不良は起こしていません。

第1の視点と第3の視点でつながる“1970年代初め”に登場している山瀬は、久我によって制裁を受けた藤倉と仮定します。藤倉でなければ知り得ない、真木の姉の情報を、赤裸々に語っている点からもその可能性は高いと考えます。

藤倉は山瀬という偽名をつかって真木に近づき、久我から受けた屈辱を、自分の手を汚すことなく復讐しようと試みたと考えられます。真木自身にも姉の復讐という大義があるため、藤倉からすると懐柔しやすい相手になります。

真木に強襲された久我の生存は不明ですが、真木のその後は推測できるのかもしれません。それは白木という人物の存在に依存します。

白木は鷲尾にコンタクトをとっていることから、1990年代初めに存在していることが掲示されています。この白木を、偽名をつかって鷲尾に近づいた真木と仮定します。

久我への復讐を試みた真木は、警察の網にかかることなく逃げ延び、警察組織へ復讐の念を燃やすテロリストを束ねる要注意人物へ変貌したと考えられます。

実はこれは藤倉(公安)の陽動作戦であったと仮定すると、その狙いは、真木を泳がせることで警察組織に私怨のあるテロリストを仕立て上げることにあったと推測できます。そしてそれは、警察の裏で手を引いていたのは公安だったという暗示になり、鷲尾は公安に嵌められたと考えられます。

そう推測すれば、おぼろげながら全体像がみえてくるように感じます。

written by 空リュウ


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