【Huluオリジナルドラマ】「フジコ」を観た私見・感想

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映画-フジコ-尾野真千子-感想

Huluオリジナルドラマ「フジコ」(2015年、主演・尾野真千子)は、イヤミスの書き手として名高い真梨幸子のベストセラー小説「殺人鬼フジコの衝動」の映像化作品ということで注目されました。原作・真梨幸子の映像化作品としては、同年に放送されたドラマ「5人のジュンコ」もイヤミス作品として知られています。

※「読後、イヤな気持ちになるミステリ」の略称・俗語。

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原作では15人もの人間を殺害したとされる残虐なフジコですが、その役に尾野真千子が起用されたことでも耳目が集まりました。台本を読んだ尾野真千子は、「話を断ろうかと悩んだ」と語っています。そして、「撮影中も最後まで不安だった」とも。衝撃的なシーンが多いことからも、映像化不可能といわれた本作に挑むにあたり、相当な覚悟が必要だったのだろうと察します。

映画-フジコ-尾野真千子-感想

ストーリーとしては、出版社の記者・高峰美智子(谷村美月)が、獄中のフジコに取材をする中で、隠された過去をひも解いていくことによって展開していきます。フジコの半生を回顧し、幼少期から各時代のシーンを間に挟んできますが、どのシーンも胸をえぐられるようなディープな演出が続きます。

個人的には、それらのイメージとシンクロしていたのが、エンディングで流れる主題歌「シンデレラ」(斉藤和義)。斉藤和義ならではの独特な旋律と悲哀な歌詞が相乗して、本作の世界観を創り上げているように感じました。

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 母親の幻影が尾を引き、フジコは──

そもそもの引き金になっているのは、フジコが自ら体験した幼少期の事件にあります。一家惨殺事件──。その家族の唯一の生き残りがフジコです。

わたしはお母さんのようにはならない

幼少期の事件がトラウマになり、フジコは心の中に現れる母親の幻影に苦しみ続けます。このトラウマが殺人鬼フジコを形成させたのか、もしくは潜在的な性質を覚醒させたのか、またはそのどちらもなのか──、フジコという人間が残忍な資質の持ち主かどうかを観る者に問いかけてきます。

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幸せが何かを追い求め──

映画-フジコ-尾野真千子-感想

フジコの根底にあるのは、幸せへの渇望です。そして、信じることができない愛への絶望感。

衝動でいとも簡単に殺人へと走ってしまう性質は、もはやどうにもならない生まれもった資質ではないかと思える描写が続きます。幼少期から学生時代、そして成人し、二人の娘をもつ母へ──。

劇中でフジコが口ずさむ「夢見るシャンソン人形」が聴覚効果となって、より一層暗い淵へ感情を引き込みます。

そんなフジコを最初は異質なものとして敬遠する美智子でしたが、取材を進めていくにつれて、フジコの心の深淵に徐々に歩み寄っていきます。一方、心の中に踏み込まれることを嫌うフジコですが、取材を通して美智子の人間性に少しずつふれていき、それによって過去の記憶が蘇り、記憶の中の幻影に苦しめられることになります。

これが真相に近づくきっかけになるのですが、ラストに近づくにつれ伏線がひとつずつ回収されていき、ミステリでしか味わうことのできない、戦慄が走るような衝撃を覚えます。

真梨幸子著「インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実」は、本作「フジコ」の原作である真梨幸子著「殺人鬼フジコの衝動」の続編小説です。映像化不可能といわれた作品が映像化されてしまった今、続編の映像化にも期待が寄せられます。

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written by 空リュウ

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