そら流│映画・ドラマ

【連続ドラマW】「パンドラIV AI戦争」(主演・向井理)を観た私見・感想

連続ドラマW-パンドラⅣ-感想

WOWOW連続ドラマW「パンドラⅣ AI戦争」(2018年、主演・向井理)は、シリーズ化されている「パンドラ」の4作目にあたる作品です(スペシャルドラマ版は除く)。シリーズを通して脚本を手がけるのは「白い巨塔」などで知られる井上由美子。

パンドラシリーズ1作目から共通しているプロットは、“禁断の箱は、希望の光となるのか、それとも絶望の淵へ沈んでしまうのか”という儚い因果。そして、その利権に群がる人間の欲望も赤裸々に描かれています。

*以下は一部ネタバレを含む私見・感想です。

解き放たれたAI医療「パンドラⅣ AI戦争」

主演・向井理が演じる医師・鈴木哲郎が本作AI医療のキーパーソン。鈴木の開発した医療用AI「ミカエル」が、いわば禁断の箱から解き放たれた“混沌”です。これが本作の“希望の光”となっています。

脇をかためるキャストとして、開発者鈴木を取り込むIT企業代表・蒲生俊平役に渡部篤郎、AI導入に反対する医師会会長・有薗直子役に黒木瞳、鈴木をサポートする看護師・橋詰奈美役に美村里江、弁護士・東浩一郎役に三浦貴大、優秀な心臓外科医・上野智津夫役に原田泰造、毎朝新聞記者・太刀川春夫役に山本耕史という面々。太刀川記者役の山本耕史はパンドラⅠ~Ⅲにも出演している固定キャストです。

今回も主人公となる人物の姓は“鈴木”で、これはⅠから継続。また、ナレーションも引き続き継続出演の山本耕史がつとめています。

パンドラⅣのフレームワークは

連続ドラマW-パンドラⅣ-感想

パンドラシリーズは常に究極のテーマを扱っていますが、本作Ⅳの「AI医療」は、医師の長時間労働、地方の医師不足など、現代社会でも起こっている問題を鑑みても、時代に合ったテーマといえます。

個人的にはパンドラシリーズのテーマは毎回興味深く、連ドラWの中でもとりわけ好みの作品。本作Ⅳも、観る側が期待するクオリティの範疇にうまく収められています。

Ⅰ以降、パンドラシリーズでは利権に絡むパワーバランスがつきものですが、本作Ⅳでも、AI医療推進のために蒲生が厚生労働大臣(升毅)の後ろ盾を得ようとし、医師会会長の有薗がそれを阻止しようとする権力の相関が描かれています。蒲生が闇社会の人間に狙撃されるなど、ダーティーなシーンも。

キャストも相応の顔ぶれでそれぞれが適役。登場シーンが多いことにも比例していますが、渡部篤郎がもつミステリアスさ、三村里江の好演が要所で作風を引き締めています。個人的には、上野医師役・原田泰造の配役も徐々に馴染みましたが。

一方で違和感があったのは“希望の光”の設定。IT企業ノックスグループ代表の蒲生が、鈴木という一人の人間を抱き込んでAI医療で日本を席捲しようとするのは作品の性質上やむを得ない構成ですが、医療用AIミカエルを鈴木単独で開発している様は、非現実的でどうしてもチープに映ります。AI医療の初期段階とはいえ、セキュリティも考慮するとそれなりの規模のシステムになるはずで、ビジュアル的にも相応の開発人員を配置し、小規模ながらもデータセンターぐらいは構えてほしいところ。

“AI戦争”のあとには

連続ドラマW-パンドラⅣ-感想

本作Ⅳでは問題提起の一つとして、「AI診断にもとづく施術方法と、執刀医の上野が判断した施術方法に相違が生まれ、結果患者が死亡する」という事件の経緯が描かれています。

ここで鈴木と上野の間に確執が生まれ、いわゆる「名医といわれる医師の判断さえもAI医療には必要ないのか」というAI医療の体制の是非について問うという流れ。パンドラシリーズらしい着想です。

また、もう一方の側面では「蒲生に対するAI診断が誤診だった」ことも判明し、この事実を鈴木自らが公表しています。AIそのものが意思をもち、失敗を重ねることでAIが自ら学んでいくという、開発者でさえも予期できないプログラム。この仕様ではとても国家プロジェクトとして推進できるものではないとの観点から、“AI戦争の休戦”を落としどころとしています。

「医療用AIは完璧ではなかった」という方向に話をもっていきたいのは理解できますが、強引に感じるこの展開は、ケレン味の利いた演出から突如シャットダウンされたような印象を受け、残念ながらやや粗さが残っています。

エンディングもパンドラシリーズの定番の流れ。“希望の光は結局絶望の淵へ沈んでしまうのか”という描写です。本作Ⅳでも、AI医療が空中分解した状態で、1年後のエピローグが描かれています。

一部ディテールに突っ込むところはありますが、作品全体としては本作Ⅳもクオリティは確か。AIを題材とするテーマは異分野にもあるため、今後のパンドラシリーズでAIモノが再登場するのもアリではないでしょうか。

written by 空リュウ

【連続ドラマW】「石つぶて」(主演・佐藤浩市)を観た私見・感想

連続ドラマW-石つぶて-感想

WOWOW連続ドラマW「石つぶて」(2017年、主演・佐藤浩市)は、ノンフィクション作家・清武英利が書き下ろした「石つぶて 警視庁二課刑事の残したもの」を映像化した作品です。

同著者作品の連続ドラマW映像化は「しんがり」(2015年、主演・江口洋介)に次ぐ2作目。

タブーとされていた外務省の報償費(機密費)が題材になっている点からも、連続ドラマWならではの緊張感のある描写が続く作品に仕上がっています。本作(原作)は実際に起きた外務省機密費流用事件が題材であることから、以下は一部ネタバレを含む表現になっています。

無骨な刑事「石つぶて」がつらぬいた信念とは

警視庁捜査二課第一知能犯情報係──。新たに赴任した係長・警部の斎見(江口洋介)と、その部下である主任・警部補の木崎(佐藤浩市)、この二人の直属の上司である課長・警視正の東田(萩原聖人)が本作を動かす当部署の主要キャストです。

徹底して信念を貫く無骨な刑事の木崎は、他人の意見にほとんど耳を貸さず、ひたすら己の信じる道を突き進みます。芯の通った人物の斎見でさえ拒絶する様は、十分すぎるほど堅物な印象を与えます。とりわけこの二人が枠に収まらないため、年下上司役として舵をとる東田(萩原聖人)の低姿勢で生真面目な面が際立ち、三者の関係が絶妙なトライアングルを描いています。

それぞれの立場から個が放つ存在感

連続ドラマW-石つぶて-感想

折しも九州沖縄サミットが開催されている最中、木崎が足しげく通う元国会議員・溝口(津嘉山正種)から、外務省ノンキャリア職員に贈収賄容疑がかかっていることを知らされます。

過去の苦い経験から上司にも情報を共有しない徹底ぶりの木崎と、木崎がヤマに近づこうとしていることを確信している斎見が動き始めることで、徐々に裏取りの捜査が展開されていきます。

木崎役である佐藤浩市の重厚な存在感は、終始一定の緊張感を保つ礎となり、斎見役の江口洋介の熱演は作品に活気をもたらせています。

この両キャストに劣らず、名演で個を放っているのが疑惑の外務省ノンキャリア職員・真瀬(北村一輝)。仕事に対するそつのなさ、周囲とのコミュニケーション力、女性へのマメさなど、悪徳職員でありながら、デキる男というイメージを北村一輝が見事に演じています。

報償費という名の錬金術

連続ドラマW-石つぶて-感想

捜査の過程で浮上する一ノンキャリア職員の巨額の遊興費。総額10億にものぼる資金はすべて親の遺産であると主張する真瀬を、木崎と斎見が追い詰める取調べシーンは本作の見どころの一つ。

「殺されますよ」

追いやられた真瀬が吐くこの台詞には、思わず息を呑むような凄みがあり、背後にいる大物を想起させる効果があります。

外務省ノンキャリア職員としては権力に忠実で職務も無難にこなすものの、一方では愛人への資金援助や競走馬の購入など、大金を湯水のように惜しげもなく乱費するという二面性。報償費の着服という錬金術に手を染める人間でありながらも、愛人や周囲への気配りができる真瀬は、どこか人間臭さや愛嬌を感じる奇妙な人徳も持ち合わせている人物なのかもしれません。

抗うことができない巨大な壁

連続ドラマW-石つぶて-感想

結局真瀬を横領罪で起訴することはできず、落としどころを詐欺罪にもっていかれるあたりは、現実の事件同様、憤りとやるせなさを感じる本作の核心部分。

木崎の説得も虚しく公判でも真瀬はすべてを語ることはありません。これによって真相は闇に葬られることになり、“石つぶて”たちに抗えない壁が立ちはだかっていることを痛感します。

作中で頻繁に登場する隠語“サンズイ(汚職事件)”が近年減少傾向にあるというのは、浄化されているというよりはむしろ、事が巧妙化されて発覚しづらくなっているのではという邪推にたどり着くのが自然。

ラストに女性刑事・矢倉(飯豊まりえ)が一石を投じる逸話が挿入されているあたり、“石つぶて”の魂が継承されることを願うメッセージとして受けとれます。

written by 空リュウ

【連続ドラマW】「コールドケース~真実の扉~」を観た私見・感想

WOWOW-連ドラW-コールドケース-感想

WOWOW連続ドラマW「コールドケース~真実の扉~」(2016年、主演・吉田羊)は、ワーナー・ブラザースから版権を獲得し、“日本版コールドケース”としてリメイクされた作品です。全10話のストーリーは、WB製作のオリジナルを踏襲した内容で製作されています。

神奈川県警捜査一課の警部中隊長・石川百合を演じる吉田羊は、本作が連ドラ初主演ということで耳目を集めました。

解き明かされる未解決事件「コールドケース」

WOWOW-連ドラW-コールドケース-感想

日本版コールドケースの舞台は神奈川県警捜査一課が管轄するエリア。みなとみらい周辺のロケーションも時おり登場します。

石川百合役・吉田羊の脇を固めるキャストに、部下・高木信次郎役の永山絢斗、同僚・立川大輔役の滝藤賢一、同じく金子徹役の光石研、そしてチームをまとめるボス(警視)役に三浦友和という個性的な顔ぶれ。

10話から成るシーズン1は、基本的に1話完結の脚本で構成されています。

コールドケースが映し出す過去

オリジナル版をベースとしている各エピソードは、異なる題材を厳選してリメイクされています。カルト教団、冤罪、猟奇的殺人、虐待など、何十年も未解決のまま時間が経過している事件。

そして、百合を含め、各エピソードで登場する人物は、それぞれ人にはいえない過去を抱えています。とりわけ、最終話で赤松(ユースケ・サンタマリア)と百合が対峙し、緊迫したシーンで明かされる双方の過去は印象深く残ります。

ユースケ・サンタマリアが演じるサイコなキャラクターの設定は、もはや常套ともいえるハマり感。欲を言えば、もう少し人物設定に色をつけて欲しいところ。

コールドケースを解決するチームの色

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各エピソードのストーリーは、それぞれのエピソードごとに主役を立てるのではなく、あくまでチーム・コールドケースとして解決していくという設定で描かれています。

主演・吉田羊を含め、ほかの出演者たちが一様に「やりやすいメンバーで楽しい現場だった」と語っているように、チームの雰囲気がそのままスクリーンに反映されているように感じます。

ただ、それぞれの人物設定がなされてはいるものの、キャラクターとしてのインパクトにやや欠けている印象。刑事というよりはビジネスマンという雰囲気ですが、同時にそのぶん、5人の中では立川大輔を演じる滝藤賢一だけが、キャラが立ちすぎている感も。

日本版コールドケースの立ち位置

他の作品でもいえることですが、原作小説からの映像化や海外版のリメイクの場合、オリジナルのクオリティが高ければ高いほど注文がつきがち。WB製作のオリジナルを見ていない者からすると、日本版は日本版で無難に仕上がっているように感じます。ただ、面白いかどうかと問われるとYESでもNOでもないというのが正直なところ。

また、オリジナルが各エピソードごとにその時代の楽曲を採用しているのであれば、日本版では日本の楽曲を採用したほうが馴染むのでは。シーズン2で改良があるのかどうか。

WOWOW-連ドラW-コールドケース-感想

残念だったのは、連続ドラマWフリークからすると6話完結というパッケージで見慣れているため、1話完結は展開が忙しすぎて、ところどころ描写がチープで雑になっている感覚を受けました。

実現されないだろうとは思いつつ、2話完結や3話完結のエピソードで継続したほうが、日本版コールドケースのクオリティも上がり、シーズン3へとつながるのではと想像します。

written by 空リュウ


【連続ドラマW】「楽園」を観た私見・感想

連続ドラマW-楽園-感想

WOWOW連続ドラマW「楽園」(2017年、主演・仲間由紀恵)は、原作・宮部みゆきの同名小説を映像化した作品です。

本作は、累計発行部数420万部を突破した「模倣犯」の事件から9年後という設定で描かれたもので、映像化作品としては本ドラマが初。

「模倣犯」の登場人物(前畑滋子)を主人公とした作品ということで耳目が集まりました。

人が追い求める“楽園”とは

模倣犯の事件から完全には立ち直れず、いまだトラウマを抱えているルポライター・前畑滋子(仲間由紀恵)は、あることをきっかけに16年前に起きた殺人事件を調査することになります。

自宅の火事を機に、16年前に娘を殺害して床下に埋めたと自ら名乗り出る土井崎元(小林薫)が、本作のキーパーソン。土井崎家の人間が、何を思い、何を行ってきたのか。過去の事件と新たに起こる事件が密接に絡み合い、それに関わる人間模様が色濃く描かれています。

過去と現在をつなぐ少年の特殊能力

連続ドラマW-楽園-感想

人知を超えた力、つまり、科学的には説明できない不思議な力をもつ少年・萩谷等(黒澤宏貴)が展開の起点となっています。その特殊能力は、“他人の記憶が見えるのかもしれない”というもの。

この少年を子にもつ母親・萩谷敏子(西田尚美)からの依頼で、少年が描いた絵について滋子は調査することになります。

その絵は土井崎家の殺人事件が発覚するより前の段階で描かれたようですが、まるでその事件を予見していたかのように描写が酷似しています。

等の特殊能力は、他人の記憶が見えるという設定のため、実際は“予見”ではなく、“見たままの事実”を描いたことになります。

この記憶は誰の記憶なのか──。

“他人の記憶が見える”という非科学的な設定にやや興ざめする感があるものの、この一枚の絵をもとに、新たな人間関係がみえてくることになります。

事件の真相へとたどる人間関係

連続ドラマW-楽園-感想

一枚の絵をもとにつながる新たな人間関係、それは16年前に殺害された土井崎家の長女・茜(伊藤沙莉)に起因しています。

素行の悪かった茜は、自宅周辺でも噂になるほどの存在。荒れていった理由のひとつに、当時、両親の愛情が次女・誠子(夏帆)に傾倒していると錯覚していた向きもありますが、それ以上に茜を大きく狂わせた要因は交友関係にあります。

入念な調査を続けていた滋子は、この茜の交友関係に何か手がかりがあるとにらみ、危険な領域へも踏み込んでいきます。それは依頼人からの望みにこたえた行動でもありますが、それ以上に、元の自白に違和感を覚えたことにより、真実が知りたいという自らの探究心が勝った結果でもあります。

たどり着いた先に見たおぞましい光景は、はたして最悪のケースが現実となってしまった痕跡なのか──。

家族を守るために決断した何か

連続ドラマW-楽園-感想

父・元が家族を守るために決断したもの。

それは第三者にはふれることのできない心の深淵に秘められています。

守る側、守られる側で、おのおのの見解は180度かわってくることも多々あります。そして、相手を慮る気持ちは理解されないということも往々にしてあります。それがちょっとした誤解であれば傷も浅くすみますが、もし生じた誤解に明かせない理由がある場合、悪化した関係を一生ひきずってしまう事態にもなりかねません。

ラストに明かされる真実には、家族を守り通そうとしている元の信念が垣間みえます。

理想として描いた家族が安らげる場所──。それは彼自身にしかみえない、誰にも侵食されることのない守られた聖域だったのかもしれません。

written by 空リュウ

【連続ドラマW】「ヒポクラテスの誓い」を観た私見・感想

連続ドラマW-ヒポクラテスの誓い-北川景子-感想

WOWOW連続ドラマW「ヒポクラテスの誓い」は、2016年に主演・北川景子で映像化された作品です。原作は同名小説・中山七里著「ヒポクラテスの誓い」(2015年刊行)。

北川景子は本作が連続ドラマW初出演であり、また医療系ミステリにも初めて挑んだ作品ということで耳目を集めました。

法医学をめぐる“ヒポクラテスの誓い”

栂野真琴(北川景子)はまっすぐな性格の研修医。いわゆる“研修生”という立ち位置としては、人物設定でありがちな、信念をもって事にあたる芯の強いタイプです。

インタビューで北川景子は、「内科医として働いているときの生き生きとした様子と法医学教室へ移ってからの葛藤のコントラストをつけられるよう演じた」と語っています。

内科に勤務する真琴は、尊敬する津久場教授(古谷一行)のアドバイスによって、法医学教室の光崎教授(柴田恭兵)のもとで研修するところからストーリーが展開されます。

構成の要所で、勤務する浦和医大の館内に掲げられている“ヒポクラテスへの誓い”がインサートされますが、これがつまり、医師としての試金石のような使われ方をしています。

法医学にたずさわる者に必要なものとは

連続ドラマW-ヒポクラテスの誓い-北川景子-感想

法医学教室での研修期間中、真琴は3件の不審死解剖事案にたずさわることになります。

法医学をまっとうする冷静沈着な光崎の言動は、若さゆえに感情で物事を判断しようとする真琴には理解しがたいものとして映り、光崎の真意をはかれません。

光崎は、“解剖によって得られる結果が真実である”ことを真琴に暗に示すが──。

キャスティングとしては、ニヒルな医師役の柴田恭兵は違和感がありませんが、研修医役の北川景子という設定にいくらかのハードルを感じてしまいます。ただ、役に対する意識の高さは演技から感じ取れます。

解剖結果が示した真実とは──

連続ドラマW-ヒポクラテスの誓い-北川景子-感想

法医学の権威・光崎に信頼を寄せる古手川(尾上松也)は、正義感の強い埼玉県警捜査一課の刑事。

まっすぐな性格は真琴と重なって映ります。

事故死の死因に疑惑を抱く古手川は、光崎に解剖を依頼するため根回しに奔走します。このシーンの古手川の正義感には共感できます。ただ、解剖にまわすまでの強引な展開が現実的ではなく、水を差しているように感じました。

光崎と古手川が手を組んで解剖をした結果、その先にみえてくるものとは──。

“ヒポクラテスの誓い”が示した真実

連続ドラマW-ヒポクラテスの誓い-北川景子-感想

解剖の結果が示すものを追い求め、その先にみえたものは“ヒポクラテスの誓い”が試されるような衝撃の事実です。

光崎は光崎なりの方法で、古手川は古手川なりの方法で、活路を見出そうと懸命に手を尽くします。そして、真琴も──。

全体の構成は練られたものになっていますが、ただ、結末のシーンで真琴がとった行動は、現実的ではないというのがおそらく大方の意見では。

原作と実写版は別物ということを前提として観ることができるならば、本作の北川景子と尾上松也の熱演は、一見の価値があるものだと思います。

written by 空リュウ

【映画】「紙の月」を観た私見・感想

映画-劇場版-紙の月-感想

主演・宮沢りえで注目を浴びた映画「紙の月」(2014年、原作・角田光代著)。

平凡な主婦・梨花(宮沢りえ)が、愛に溺れる狭間で巨額横領事件を起こすという、非現実的で好奇ともいえるプロットに惹きつけられます。

原作のコンセプトは、“お金を介在してしか恋愛ができない女性を描きたかった”というもの。ふれることのない歪んだ心理描写に、読み手は引き込まれてしまうのかもしれません。

心の隙に入り込む見えない罠

映画-劇場版-紙の月-感想

本作では、夫・正文(田辺誠一)との結婚生活で徐々に感じていく気持ちのずれや希薄さが、いつしか梨花の心の中で溝となっていきます。環境を変えて働きに出ることで、修復するためのきっかけをつかもうとする梨花。そこで選んだのが、パートタイムで勤務する銀行の営業職。

これによってストーリーは大きく展開していきます。

仕事で成果を挙げて徐々に顧客をもつようになり、あるとき光太(池松壮亮)との出会いが訪れます。光太は梨花の心の隙に入り込み、梨花は光太に傾倒していく──。これ以降、前述の“お金を介在してしか恋愛できない女”が見えない罠に堕ちていく様が描かれています。

この部分の演出としてひとつ感じたのは、二人の恋愛への発展要素がやや欠けているのではないかという点です。意図的にカットされたのかもしれませんが、このあとの展開を考えると、もう少し色づけする必要があったのではとも思えます。

“金”を介在させることで、失った何かと得た何か

映画-劇場版-紙の月-感想

ひとりの主婦が横領を繰り返し、“愛”と“金”に挟まれ、急場を立ちまわっていく様は狂気じみて映ります。あとさきのことは考えず、目の前で起きていることにだけ場当たりで対処していくという方法は、正常な思考であればふつうは選択しないはず。展開としてはこれが凋落への布石となります。

見方を変えれば、どうなってもいいという覚悟ができて、愛を得るために金を搾取するという観念をもつことは、恐ろしさを感じる反面、清々しいとも思えてしまいます。

梨花を演じた宮沢りえは、「本能で生きる道を選んだ梨花は、ある意味羨ましい」と語っているように、梨花の選んだ道は、人生を賭けた究極の選択ともいえます。

written by 空リュウ


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【Huluオリジナルドラマ】「フジコ」を観た私見・感想

映画-フジコ-尾野真千子-感想

Huluオリジナルドラマ「フジコ」(2015年、主演・尾野真千子)は、イヤミスの書き手として名高い真梨幸子のベストセラー小説「殺人鬼フジコの衝動」の映像化作品ということで注目されました。原作・真梨幸子の映像化作品としては、同年に放送されたドラマ「5人のジュンコ」もイヤミス作品として知られています。

※「読後、イヤな気持ちになるミステリ」の略称・俗語。

原作では15人もの人間を殺害したとされる残虐なフジコですが、その役に尾野真千子が起用されたことでも耳目が集まりました。台本を読んだ尾野真千子は、「話を断ろうかと悩んだ」と語っています。そして、「撮影中も最後まで不安だった」とも。衝撃的なシーンが多いことからも、映像化不可能といわれた本作に挑むにあたり、相当な覚悟が必要だったのだろうと察します。

映画-フジコ-尾野真千子-感想

ストーリーとしては、出版社の記者・高峰美智子(谷村美月)が、獄中のフジコに取材をする中で、隠された過去をひも解いていくことによって展開していきます。フジコの半生を回顧し、幼少期から各時代のシーンを間に挟んできますが、どのシーンも胸をえぐられるようなディープな演出が続きます。

個人的には、それらのイメージとシンクロしていたのが、エンディングで流れる主題歌「シンデレラ」(斉藤和義)。斉藤和義ならではの独特な旋律と悲哀な歌詞が相乗して、本作の世界観を創り上げているように感じました。

 母親の幻影が尾を引き、フジコは──

そもそもの引き金になっているのは、フジコが自ら体験した幼少期の事件にあります。一家惨殺事件──。その家族の唯一の生き残りがフジコです。

わたしはお母さんのようにはならない

幼少期の事件がトラウマになり、フジコは心の中に現れる母親の幻影に苦しみ続けます。このトラウマが殺人鬼フジコを形成させたのか、もしくは潜在的な性質を覚醒させたのか、またはそのどちらもなのか──、フジコという人間が残忍な資質の持ち主かどうかを観る者に問いかけてきます。

幸せが何かを追い求め──

映画-フジコ-尾野真千子-感想

フジコの根底にあるのは、幸せへの渇望です。そして、信じることができない愛への絶望感。

衝動でいとも簡単に殺人へと走ってしまう性質は、もはやどうにもならない生まれもった資質ではないかと思える描写が続きます。幼少期から学生時代、そして成人し、二人の娘をもつ母へ──。

劇中でフジコが口ずさむ「夢見るシャンソン人形」が聴覚効果となって、より一層暗い淵へ感情を引き込みます。

そんなフジコを最初は異質なものとして敬遠する美智子でしたが、取材を進めていくにつれて、フジコの心の深淵に徐々に歩み寄っていきます。一方、心の中に踏み込まれることを嫌うフジコですが、取材を通して美智子の人間性に少しずつふれていき、それによって過去の記憶が蘇り、記憶の中の幻影に苦しめられることになります。

これが真相に近づくきっかけになるのですが、ラストに近づくにつれ伏線がひとつずつ回収されていき、ミステリでしか味わうことのできない、戦慄が走るような衝撃を覚えます。

真梨幸子著「インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実」は、本作「フジコ」の原作である真梨幸子著「殺人鬼フジコの衝動」の続編小説です。映像化不可能といわれた作品が映像化されてしまった今、続編の映像化にも期待が寄せられます。

関連記事-ドラマ-フジコ-感想関連記事:連続ドラマW「5人のジュンコ」を観た私見・感想

written by 空リュウ

【映画】「葛城事件」を観た私見・感想

映画-葛城事件-三浦友和-感想

過去に発生した凄惨な凶悪事件をイメージして制作したといわれる映画「葛城事件」(2016年、主演・三浦友和)。

2013年に舞台「葛城事件」が上演されており、本作は映画版としての作品(監督脚本・赤堀雅秋)です。舞台「葛城事件」は、ある無差別殺傷事件をモチーフにした作品だったようですが、映画版は“様々な事件を調べて複合化した”と監督は語っています。

鑑賞前に前評判や寸評などを見聞きした範囲では、無差別殺傷事件に偏重があるストーリーを連想していましたが、映画版では事件よりもむしろ、家族の中で起こる事象にスポットが当てられているように感じました。

「葛城事件」に観る、どこにでもある家族に潜む心の亀裂

映画-葛城事件-三浦友和-感想

本作を鑑賞してまず感じたことのひとつが、登場人物(=キャスト)の構成に違和感がなく、ファーストインプレッションを受け入れられたことです。

主要な登場人物は5人ですが、それぞれの人物設定とキャストがシンクロし、導入部分で拒絶することなく入り込めました。作品を鑑賞するにあたって、これは重要なファクターだと改めて感じます。

とりわけ、一家の主である父・葛城清を演じる三浦友和の迫真の演技に惹きつけられます。個人的に好きな俳優ですが、今までに観た紳士的な役どころとは大きく異なり、独善的かつ抑圧的な父親を見事に演じています。全般的に清の独善的なシーンが続きますが、そんな中でも中華料理屋での1シーンはある意味見もの。

キャスティングについて強いていうならば、死刑廃止を訴える星野順子(田中麗奈)の存在でしょうか。本作を成立させる上では必要な人物設定なのかもしれませんが、個人的には、最後に埋められたピースのような感覚を受けました。

理想の家族像を追い求め、それに近づけようとするあまり、抑圧的に接してしまう父・清。その標的になってしまうのが、引きこもりの次男・稔(若葉竜也)であり、次男をかばう妻・伸子(南果歩)。そして、従順な資質から抑圧的な支配にあらがうことができない長男・保(新井浩文)。

抑圧されるということは自己主張ができず、鬱憤が蓄積されていくことにつながります。家族であれ組織であれ、いずれも同じことがいえますが、抑圧からの逃げ道や、ストレスのはけ口があるのか──。これは“均衡を保てるか”、“亀裂が生じて崩壊するか”の重要な分岐点です。

引き込まれるシーン構成

映画-葛城事件-三浦友和-感想

一般的に、回顧シーンなどを間にはさむ構成はよくありますが、本作では、シーンごとに現在と過去を何度も行ったり来たりします。開始から最後までを時系列では進行させていません。

これを否定的にみる意見も当然あると思いますが、この時系列の入れ替えが、頭から時系列で描写するよりもむしろ、展開に引き込まれる感覚を受けました。個人的には、技巧的であると感じます。

 記憶に残るあと味の悪さ

本作を観たあと確実に残るものは“あと味の悪さ”です。そして、感情は沈んでいくでしょう。

決して映像の中だけの話ではなく、いつ自分の身のまわりで起きてもおかしくないような題材でもあります。

マイナスに作用することがことごとく連鎖し、悪循環がここまでハマってしまうと、感情をえぐられます。そして、記憶にも深く刻まれます。

この感覚に陥った時点で、“本作を受け入れたことになるのだろう”と感じました。

written by 空リュウ

【ドラマ】「64(ロクヨン)」を観た私見・感想

64-ロクヨン-NHKテレビドラマ-感想

別の記事で映画「64(ロクヨン)」(2016年、主演・佐藤浩市)が豪華キャストで話題を呼んだことにふれましたが、映画公開の1年前(2015年)、NHKドラマ版「64(ロクヨン)」(主演・ピエール瀧)が全5話で放送されています。

本作は、昭和64年の7日間に起きた未解決事件(少女誘拐殺人事件)に起因する、多くの人間のその後の人生を描いた傑作ミステリ。

当時、原作・横山秀夫著「64(ロクヨン)」を映像化するにあたり、主演・ピエール瀧というキャスティングが注目されたようです。DVDには特典映像が収録されていますが、番宣でピエール瀧がNHKトーク番組に出演した際、「なんで自分にオファーがあったのか分からなかったが、三上役は昭和の顔を探していたといわれて妙に納得した」というコメントをしていました。第1話を撮り終えた直後の出演だったようですが、編集されたオンエア用の映像を見て、「本当に面白い作品に仕上がっています」とも。

疑念に駆られながらも貫き通す信念

64-ロクヨン-NHKテレビドラマ-感想

県警広報官の三上(ピエール瀧)は、警察の縦割り組織の中で板ばさみになりになりながらも、信念を貫く硬派。メンタル面でブレないタフさがあることを感じさせます。

三上を演じたピエール瀧は、「原作を読んで自分なりに三上という人物を想像して演じ、結果として、ほとんどのシーンで仏頂面が多かった」といっています。

また、原作の著者が元新聞記者であることからも、終始、広報官である三上を中心とする警察組織と、新聞記者の秋川(永山絢斗)を中心とするメディアとの軋轢が色濃く描かれています。警察組織の盾となり、メディアとの間で板ばさみになる三上の心情は痛いほどよく伝わってきます。

逃れられない64のしがらみとは──

64-ロクヨン-NHKテレビドラマ-感想

三上と同期で県警調査官の二渡(吉田栄作)も強い存在感を放っています。未解決事件に関連する捜査の中、いく先々で自分より先に動いている人物がいることを知れば、おそらく誰でも鼻につく存在に感じるでしょう。

競争が発生する組織には必ずといっていいほどライバルが存在しますが、客観的に見れば、三上と二渡が凌ぎを削ることで、組織力としては底上げされることになります。

ほかにも、直属の部下との信頼関係、家庭で抱える親子間の問題など、一見、事件とは無縁に思えるようなことも実は密接に絡み、緻密に構築されたプロットであることがうかがえます。

警察とメディアという、特殊な職種を題材としたストーリーですが、ふれられている“人間の内面”は、誰にでも存在し得る強さであり、弱さでもあります。時間を置いてまた見ると、また違った景色が見える作品なのかもしれません。固定観念をもたずに鑑賞できるのであれば、映画版と合わせて鑑賞しても良いと思います。

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written by 空リュウ

【映画】「64(ロクヨン)」を観た私見・感想

64-ロクヨン-映画-感想

豪華キャストで話題を呼んだ映画「64(ロクヨン)」(2016年、主演・佐藤浩市)。

本作は、原作・横山秀夫著「64(ロクヨン)」の映像化作品であり、昭和64年の7日間に起きた未解決事件(少女誘拐殺人事件)に起因する、多くの人間のその後の人生を描いた傑作ミステリ。前編と後編の2部作で完結しています。

原作・横山秀夫の作品を映像化したもので、以前、映画「クライマーズ・ハイ」(主演・堤真一)を鑑賞しましたが、現場の臨場感があり、横山秀夫作品の映像化は力作になることを実感しました。

本作もそういう心持ちで鑑賞することができるのではないかと思います。ただ、昭和の雰囲気と現実感のある演出のNHKドラマ版「64(ロクヨン)」(2015年、主演・ピエール瀧)とは異なり、本作はどこか非現実的で演出が華美なイメージを受けます。

信念と疑念の狭間で揺れ動く何か

64-ロクヨン-映画-感想

終始警察とメディアの軋轢が鮮明に描かれ、特に強硬的な記者・秋川(瑛太)が際立っているため、県警広報VS記者クラブの印象が強烈に残ります。

幹事社として諸々の情報開示を求める秋川と、警察組織内部の事情により隠蔽を余儀なくされる三上の駆け引きも見どころの一つ。

また、キャリア組の県警本部長(椎名桔平)、警務部長(滝藤賢一)の人物像がスパイスを効かせている点も、警察組織像を程よく印象づけています。

どの組織にも大なり小なりあることですが、縦割り組織の中で、三上のように組織を跨いで正義を貫けるかというと、現実的にはなかなかできません。組織の中で板ばさみになりながらも、上層部への疑念と、真実を追い求める信念の狭間で押しつぶされない三上には感服します。

64に始まり、64に終わる

64-ロクヨン-映画-感想

64に始まり64に終わる本作は、間違いなく大作です。ラストシーンが映画バージョンになっている点も、映像版のテコ入れとして認められるのではないでしょうか。

ミステリの中にも、事件の背景にある人間ドラマ、警察組織内部の縦社会、上司・部下・同期との人間関係、家庭で抱える親子間の問題など、それぞれがストーリーに密接に絡み、緻密に構築されたプロットであることがうかがえます。

受け取り方は人それぞれで、演出や脚本に賛否はあって然るべきですが、原作・横山秀夫の映像化作品は今後も鑑賞していきたいと感じます。

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written by 空リュウ

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